バケモノの子を見ました。

バケモノの子をテレビで放送していたので、遅ればせながら見てみました。私的には、色々と考えることができて、すごく良かったです。

 

「バケモノの子」という作品のテーマは、「学び」なんだと私は思いました。作品は、私が「学び」について何となく気づいていたことをはっきりさせてくれました。そして、私を「学び」へと誘ってくれました。

 

「学び」には、「何を学ぶか」は重要ではなく、「誰と学ぶのか」の方が重要なんだと、自分の中でははっきりと気づきました。人間は、全ての瞬間に学んでいます。だから、学ぼうと意識していないことも、自然と学んでしまいます。しかも、人から学ぶようにもともと作られています(多分)。あくびが伝染するように、身近な人のあり方が自然に自分の身体に移ってくるものです。それが、本質的な学びだと思います。

だからこそ、この人から学びたいという人を見つけたら、その人のあり方が自然と自分に移ってくるように、その人に近づき、時間をともにし、ぶつかっていけば良いのです。おそらく学びは自然に生じてしまいます。

 

そして、「学び」は、連鎖しています。教える側と学ぶ側が無限につながって「学び」が生じています。そのつながりに身を投じていくことが「学び」なのです。教える側と学ぶ側を分けることはできません。教える側が、最も学んでいます。教える側は学ぶ側なのです。だからこそ、学ぶ側は教える側なのです。

 

繰り返しですが、何を学ぶかは重要ではなく、全ては自然と学ばれてしまうのです。だから、誰と学ぶのか、ということのほうが、大切だったのです。改めて、はっきりとそう気づきました。自分を信じて、自分の大切な人と時間を共にしていくことが、多分、私に沢山のことを学ばせてくれるのだと、思います。学びの無限のつながりに身を投じていけば、自然に必要なことが学ばれるに違いありません。これからも、安心して学んでいけそうな気がします。

 

「バケモノの子」は、「学びの入り口は沢山あるんだよ」と優しく語りかけているようでした。学ぶことで人生が開かれていくんだと、優しく教えてくれているようにも感じました。本を読むことも、高認を受けることも、修行をすることも、大学へ行くことも、受験勉強をすることも、全てが学びなんだと、思いました。

 

栞とは、山道を歩くときに、枝を折って自分が通った道に目印をつけて迷わないようにするという「枝折り」(しおり)が語源のようです。本の中の目印が、広く深い学びのプロセスの中で、自分自身を見失わないようにする目印として描かれていたのが印象的でした。一人で学ばざるを得ない者は道に迷ってしまいがちです。誰かと学ぶことができるようになると、栞はいらなくなるのかもしれません。栞が受け渡されていったこともまた、学びの無限のつながりに身が投じられたことのひとつの証なのだと感じました。

 

 

忘れ物対策。ADHDっぽい感じだった私からのお勧め。

 大人になってから気づいたのですが、自分自身少し(たぶん少しだと思います)、ADHDっぽい感じがあります(あと、聴覚過敏があります)。

 例えば、小さな頃から今でも、物の数を数えるのが不得意です。自分が不得意だから、みんなそうなんだと思っていました。

 並んでいる物を数えるときに、指が指している物よりも先に目と頭は進んでしまいます。だから、指が指している物が、5だったのか、6だったのか、7だったのか分からなくなってきます。ご飯を炊飯するときにお米をカップで計量するときもそうです。例えば、こんな感じです。「いーち、次は2だね、にーい、次は3だね、その次は4、さーん、次は5で、その次が6で、その次が7で、・・・・・」というふうに、頭の中で数字が、どんどん進んでしまいます。カップで計量しているのはそのスピードに追いつけないので、途中で分からなくなってしまいます。

 だから、数えるときは「いち、いち、いち、いち、いち」「に、に、に、に、に、に」と細かく、同じ数字を頭に思い浮かべながら数えていきます。そういうわけで、ADHDっぽい感じです。

 

 ところで、ADHDの子どもたちは忘れ物が多いですね。いくら厳しく叱っても、しつこく言っても、忘れ物はなかなか減らないと思います。ADHDは、頭の中にあることがどんどん切り替わったり、どんどん先に進んだりしてしまうわけなので、行動や現実が置き去りになってしまいます。忘れ物も、頭の中は次のこと、先のことを考えているので、置き忘れたり、ある事の準備の途中で違う物の準備を始めてしまったり、ということが起きるのだと思います。わざとやっているわけではなくて、自然とそうなってしまうわけなので、何度叱られてもなかなか変化しないと思います。良く忘れないようにメモをすることを勧められたりしますが、個人的にはメモは全く上手くいきません。メモするスピードが頭の中に追いつかないからです。だから、メモることがすごく面倒です。しかも、メモを見直すことなんてしません。しかも、メモを無くしてしまうことも非常に多いからです。

 

 さて、ではどうすれば良いでしょうか? 私のお勧めは、思い出すようにすることです。ADHDの特性を活かすのです。頭の中に一つのことを置いておくのではなくて、どんどん切り替わり、どんどん思いだすわけですね。思い出すことを自分の習慣にすれば、忘れていても、すぐに思い出して、そのことに取りかかることができます。それをやっているうちに、また別の活動に切り替わってしまいますが、また、別のチャンスに思い出して、そのことに取りかかれば良いのだと思います。

 

 だから、お子さんがADHDっぽくて、忘れ物が多い場合には、思い出したことをどんどんほめてあげると良いと思います。また、思い出すチャンスを沢山作って上げて、「今日は何だっけ?」とか「後何持って行けばいい?」などと質問してあげると良いと思います。それで思い出したら、「良く思い出すねぇ!さすが、思い出し名人!!」とほめてあげると良いかと思います。子どもが、自分で、思い出すように、子どもが自分で「今日は?」とか「あとは?」「明日は?」などと思い出すきっかけを持つことを習慣にできると良いですね。

 

 楽観的な期待ですが、思い出すことが上手になれば、学校の成績も伸びるかもしれません。テストで沢山のことを上手に思い出すことができれば、点数が上がるはずです。

 実は、思い出すというのは、意識的に思い出そうとしてもなかなか上手くいかないものです。自分は「思いだし名人だ」という思い込みが無意識の中で上手く作用すると、自然と色んな事を必要なときに思い出すようになるかもしれません。

 

 

 

子どもにカウンセリングを勧める方法

 お子様が、学校を休みがちになったとか、身体症状が出ているけれども病院でストレスが原因ではないかといわれたとか、カウンセリングを受けさせたいと思ったりすることがあると思います。そういう時にどんなふうにお子様にカウンセリングを勧めたら良いか悩んでしまう方も多いかもしれません。

 カウンセリングは心理的に問題がある人が受けるものではありません。そうではなく、自分で自分の問題を解決しよういう前向きな力を持っている人が活用するものです。実は、積極的、肯定的なものなのです。

 しかし、日本の世間一般ではカウンセリングは、問題がある人が受けるものだと思われているかもしれません。お子様も、そんなふうに思っているかもしれません。だからこそ、カウンセリングに勧め方には工夫が必要です。

 一番良くない勧め方はだまして連れて行くという方法です。その時は、カウンセリングを受けても、2回目以降にカウンセリングを受ける可能性が極めて低くなります。それよりも、家族に対する不信感が大きくなってしまって、家族関係が険悪になってしまうと言う可能性まであります。

 

 あた、良くない例としては、「この先心配だからカウンセリングを受けてみよう」という勧め方です。言外に「あなたが問題だ」というニュアンスが含まれています。

 

 お勧めは「あなたは、自分できちんと考えるタイプだから、そういう人はカウンセリングが向いているらしいよ。カウンセリングに行くと自分で考えるヒントが分かるから、それを参考に自分で色々考えるのが良いみたいだよ。」というのが良いと思います。

 また、回数や時間を限定してみても良いかもしれません。「1回受けてみたら良いと思うけど。1回受けてみて、良かったら続けたら良いし、あわないなぁと思ったらやめれば良いんだよ。」などと、子どもに勧めてみるのが良いと思います。1回でもカウンセラーに会って話してみることができていれば、必要なときにカウンセラーを活用することもできるかもしれません。

 極端な例ですが、場合によっては、カウンセラーに話したり相談したりしなくても構わないと保障することもひとつの方法です。「話したり相談したりしなくても構わないから、1回会ってみて、信頼できそうな人だったら、数回行ってみたら」と勧めてみることもひとつです。ただし、カウンセラーであっても話さない子どもと良い関係を作るのは難しいので、最初の関係づくりで苦労してしまうかもしれません。事前に、「子どもは来るのに抵抗があったから、話さなくても良いから、一回会ってみようと言って連れてきた」とカウンセラーに伝えておくことが必要だと思います。

 

 

 

 

 

切り替えができたらほめよう

昔は気持ちを切り替えなくて良かった

 20年前の子ども達はも、現在の子ども達も、楽しいもの面白いものが好きなことには変わりがありません。子どもは、いつまでもテレビを見ていたいし、いつまでも遊んでいたいものです。昔も今も変わりはありません。でも、昔の子ども達は、いつまでもテレビを見ていたり、いつまでも遊んでばかりいるということは少なかったと思います。それは、子ども達が自分を上手にコントロールできたていたわけではありません。

 例えば、どんなにテレビアニメが好きでも、テレビの子ども番組は30分で終わってしまいます。子どもがどんなにわがままでも、自己コントロールができなくても、いつまでもその番組を見続けることはできないのです。自分で切り替えをする必要そのものがありません。昔の子どもの遊びは、そとで友達と遊ぶことが一般的でした。そとで遊んでいても、日が暮れれば、遊びを続けることができません。あたりは真っ暗になって、嫌でも遊びをやめて家に帰らざるを得ないでしょう。やっぱり、切り替えることなんか、全く必要なかったのです。

 

現代社会は切り替えが必要

 最近の子ども達の遊びは昔と全く違っています。子ども達は、例えば、子ども達は昔よりもテレビを見なくなりました。もちろんテレビも見ますが、それよりも、youtubeで動画を見ている子ども達が多いと思います。それから、遊びと言えば、ゲームです。自分専用の携帯ゲーム機を持っていて、それで遊ぶことが多いと思います。

 例えば、youtubeで動画を見ると、右側に関連動画がずらーっと並んでいます。一本一本の動画は短いことが多いですが、そのずらーっと並んだ関連動画は際限なく並んでいて、いくらでも長時間見続けることができます。ちょっとクリックすればいくらでも動画を見ることができるわけです。

 つまり、自然に番組が終わるわけではないので、動画を見るのをやめるには、自分で自分をコントロールして切り替える力が必要になるわけです。

 ゲームをやめる時も同じです、いつまでもゲームは続けられます。どこかでゲームをやめるには、自分で自分をコントロールして切り替えをしなくてはならないのです。

 子ども達の事情について書いてきましたが、大人も全く同じ状況におかれています。上手に切り替えができる人は、自分の時間を上手く活用して色々な活動を楽 しむことができます。しかし、切り替えが上手くできないと、あることに時間をとられてしまって、生活が上手く回らなくなってしまいがちです。

 実は、現代社会を生き抜いていくためには、切り替える力が絶対に必要なのですが、そのことはあまり注目されていないのです。

 

切り替えができたらほめてあげましょう

 大人になっても、切り替える力が必要ですから、子どものうちから、その力を身につけられるように、上手く育ててあげたいものです。切り替えができたら、そこで上手くほめてあげることが大切です。

 例えば、今の遊びをやめて次の遊びに移った時や、「切り替えができて偉いね」などとほめてあげるのです。また、切り替えるチャンスを作ってあげることも大切です。遊びを無理矢理にやめさせるのでは、切り替える力はつきません。上手に次の活動に誘ってあげて、切り替える力を自分が使うチャンスを作ります。例えば、「おやつだから、ゲームをやめて一緒に食べよう」と誘ってあげます。それで少し待ってあげて、自分からゲームをやめておやつを食べに来たら、「切り替えができて偉いね。」とほめてあげるのです。

 

時間の感覚を育てる

時間の感覚がない子ども達 

 最近、時間の感覚がない子ども達が増えているようです。例えば、夕方に「いま何時?」と聞いてみると、「1時ぐらいかな?」などと見当違いの答えが返ってくるようです。こういう状態だと、急ぐようにいくら言っても、時間に合わせて行動することが難しいと思われます。例えば、あと10分で出かけなくてはいけないけど、その10分の間隔が身体の感覚として分かっていないと、その時間に合わせて行動することができないわけですね。そういう子ども達に、しつけの問題として一生懸命言い聞かせても、時間に合わせて行動できるようにはならないですね。

 

時計を見ずに直感で答える

 時間の感覚がきちんと持てていない子ども達でも、時間感覚を育てていくのは、意外と簡単なことです。時間を聞いてあげるのです。聞いたときに、時計を見て答えるのではなくて、直感や想像で、いまの時間を当てるのです。ちょっとしたクイズや遊びのように楽しむことがコツですね。子どもに聞くだけではなくて、大人も一緒に当てるようにしたら楽しいですね。やり始めた最初の頃はなかなか当たりませんが、子どもの成長は早いので、意外とすぐに当たるようになってきます。

ちょっとした時にできますので、お試し下さい。

 

では、このブログを読んでいる皆さん

「いま何時?」 直感でどうぞ

 

眼鏡を新しくしました。

 パソコンで仕事をすることが多いのですが、最近すごく目が疲れる漢字でした。また、眼鏡がすっかり古くなってしまっていたので、新しい眼鏡を作ることにしました。

 眼鏡ショップに行って、色々フレームを見て好みのフレームを選んでいると、店員さんが話しかけてきました。「近くが見えづらくて疲れるんです」と話すと、「まず視力を測定してみましょう」と促されて、早速視力検査をしました。その後、どういうレンズにするを話し合っていったのですが、私が再度「近くが見えづらい」ということを話すと、店員さんから「遠近両用というわけではないんですが、近くが見えやすいようにしてあるレンズがあるんで、これをお勧めしています」と勧められました。親しみやすいような「ちからく」というキャッチフレーズがつけられていて、レンズの名称は「アイリラックス」と格好良い名前がつけられいました。店員さんはやけに「遠近両用とは違うんですけど」と強調していました。でも、私的には、遠近両用で構わないし、このレンズは結局遠近両用レンズだろうと思うわけです。

 

 店員が違いを強調するわけですから、「遠近両用」には抵抗を感じる人も多いのだろうと想像しました。昔の遠近両用レンズは、性能的に一長一短が会って使いづらかったりしたのかもしれませんね。それを知っている人は、「遠近両用」と聞くと抵抗をかじるのかもしれません。また、自分の意識的には若さを保っている人の場合、「遠近両用」といわれると,年を取ってしまったような印象を持ってしまうので、抵抗を感じるのかもしれません。

 

 そういった抵抗感を減らすのには、新しいコンセプトの眼鏡は役に立つだろうなと思います。結果的に、サービスが必要な人に適切なサービスが提供されているという良い結果に至っているとも思えます。

 

 カウンセリングの業界や教育の業界でも、こういうことは大切だと思います。過去からの実践や研究の積み重ねの上に今の実践があるのですが、それを新しいコンセプトで子どもや保護者に伝えていくということを意識的にやっていかなくてはならないですね。

  

沖田×華さんの講演会に行ってきました

茨城県立友部特別支援学校主催の沖田×華さんの公演会に行きました。講演のタイトルは「アスペルガーで、漫画家で」というものでした。

会場に着くと、駐車場の誘導の係の人が何人もいらっしゃり、ちょっと物々しい雰囲気でした。会場では500人入るホールがほぼ満席でした。おそらく大半が学校関係者で、保護者の方も多いようです。

沖田×華さんの話はなかなか面白かったです。特に、視覚や聴覚についての話が興味深かったですね。横棒の多い漢字(例:嬢・講)では、その横棒1個1個の近くに、(本来はない)赤い線が見えるそうです。それを図示してくれていました。そのため、そういう漢字はいくらタブレットなどで拡大しても赤い線は消えないので、読みにくさは変わらないということでした。

 

沖田×華さんの講演の後に、茨城大学の金丸隆太先生を交えて、座談会が開かれました。座談会で、評価のことに関して何度か触れていました。。座談会ではあまり触れられられませんでしたが、私は人が感じている世界の多様性こそが重要なことではないかと感じました。一人一人の感じている世界が違っているからこそ、そこにおもしろさや価値が生じてくるのだと思います。しかし、その多様性を尊重することそのものがかなり難しいことだとも思いました。

ちなみに、沖田×華さんの著作は沢山ありますが、「ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私  」のことが何度か出てきました。

 

 講演会が終わって外へ出てみると、土砂降りでした。でも、雨はすぐに上がって、帰りの車の中からは大きな虹が見えました。沖田×華さんの講演を聴いた帰りでしたので、余計に虹に出会えたことが、感激でした。

 講演のタイトルは「アスペルガーで、漫画家で」というタイトルでしたが、アスペルガー症候群という概念は、最近では自閉症スペクトラム障害という概念に包括されています。そして、自閉症スペクトラム障害という概念の方がよく使われるようになってきました。ところで、自閉症スペクトラム障害の「スペクトラム」は、虹という意味です。「スペクトラム」には「いろんな色があって、でもそれはつながっている」という意味が込められているのだそうです。多様性があるから、虹は美しいのです。

私たち人間も、もともと多様な存在なのだとあらためて思います。