なかなか謝れない子どもへの指導

  もうすぐ夏休みですが、夏休みの期間中、学校の先生方はたくさんの研修に追われます。私も、いくつかの研修会に呼んでいただき、講師を担当することになっています。今年は、発達障害の子どもたちをどう理解してどう支援していくのかという内容での研修をいくつか頼まれています。私なりに、今まで学んできたことや自分の実践の中で工夫してきて手応えを感じていることをお伝えしようと思っています。

 

 そういった研修会の中でお話ししようと思っていることの一つに、「ごめんなさいが言えない」という問題への支援方法があります。学校現場では、発達障害の子どもたちが、友達とトラブルになってしまったときになかなか謝罪できず、先生方 が対応に苦慮しているという現状があります。相手の子に謝るように繰り返し指導しているけれども、自分勝手な理屈を主張して謝らないというような事例もあるようです。先生方も発達障害の子どもを責めたいわけではなく、その子が相手の子どもから否定的に思われることを避けるため、社会へ出たときに人と上手くやっていく力を育てるため、などと子どものためを思って一生懸命指導されているようです。しかし、繰り返し指導してもなかなか謝れるようにならないケースがあります。

 

 その一つに、「悪いことをした人は謝らないといけない」という指導方法がかえって逆効果になっている場合があります。発達障害の子どもの中には、自分自身が感じて いることが世界の全てであって、他人が自分とは違うふうに感じているということがピントこない子どももいます。そうすると、その子どもにとっては、自分自身は「悪いこと」はしていないという感覚なのです。

 

 例えば、小学校2年生の授業中の活動で話し合い活動をしていたとします。A君は、後ろを向いて後ろの座席の子ども(B君)と話していました。時間が来て、先生が話し合い終了の指示を出して、A君は前を向きました。そのときに、机の端においてあったB君の筆箱にA君の手が当たってしまって、B君の筆箱が机から落ちてしまいました。そしてB君の筆箱は割れてしまい、B君は泣きはじめてしまいました。それを見た担任の先生は、何が起 きたのかを本人や周囲の子どもたちから聞いて、状況を理解しました。そして、A君に対してB君に謝るように言いました。しかし、A君は「僕は悪くない」と言い張って、全く謝りません。さらに先生が指導すると、「B君が机の端に筆箱を置いていたのが悪い」「先生が急に前を向くように言ったのが悪い」と言ってきます。そこで、先生は「筆箱を落としたのはA君なんだから、悪いのはA君でしょう。悪いことをした人は謝らないといけないよ」と指導しますが、A君は「自分は悪くない」「B君と先生が悪い」と先ほどと同じ事を言ってきて指導を全く受け入れられない状況です。

 

 発達障害を持つ子どもの中には、こんなふうに友達とトラブルになって しまったときに謝れないということが生じがちです。こんな場合にお勧めできない指導方法は、「悪いことをした子は謝らないといけないよ」という言葉に表れてきている、「誰が悪いかを決め」「悪いことをした人が謝罪する」という指導です。発達障害の子どもたちは、他者の立場に立って、他者の見方で自分自身を理解することが苦手です。つまり、自分自身の立場にたって、自分自身の見方で理解した世界が世界の全てなのです。上述の例では、A君は筆箱を落としてやろうとか、B君を困らせてやろうなどとは全く考えていなかったでしょう。自分自身には悪意はないのです。だから「誰が悪いか?」とA君を追求していけば、A君は「筆箱を机の端に置い たB君が悪い」とか、「急に呼びかけてあわてさせた先生が悪い」と考えを進めていくしかありません。こういった状況で無理に「ごめんなさい」と言わせても、形だけの謝罪になってしまいがちです。A君にとっても、理解できない不快な体験として記憶される可能性が高いですし、B君にとっても納得のいかない結末となってしまうでしょう。

 

 では、どんなふうに指導していけば、トラブルが生じたときに謝らせることができるのでしょうか? まず、必要なことは、共感的にかかわることです。A君にもB君にも共感的にかかわる必要があります。B君が泣いているわけですから、まずB君に「筆箱が壊れてしまって、ショックだね。悲しい気持ちになる ね。」などと感情を言語化しつつ、気持ちを受け止めていくことが大切でしょう。そして、A君に対して「筆箱が落ちちゃって壊れちゃって、A君もびっくりしたかな? ショックだよね。」などと同様に声をかけてあげたいところです。さらに「B君が、どんな気持になっているか、A君は分かるかな?」、あるいは、「あなた(A君)も、ビックリしたりショックだったり、いやな気持ちになっちゃったんだけど、B君も、すごくいやな気持ちになったんだよね。」などとB君の気持ちに目を向けさせます。もしA君が「(B君は)すごく悲しいんだって」などと、B君の気持ちを受け止める発言が出てきたら、すごくほめてあげたいと思います。ここで、こちら から「相手の気持ちを大切にする言葉を前に勉強したでしょう。覚えてるかな?」とA君に投げかけます。(事前の学習を思い出させます。)そして、A君にどう言えばいいかを考えさせて、答えられたら、それを言うように促します。答えられなかったら、「この場合はB君に「すみませんでした」って言おうね」などと促して、できる限り言わせるように指導します。言えない場合には、「A君は本当は「すみませんでした」って言いたいけど恥ずかしくって言えないから先生がA君の代わりにB君に言っておいてもいいかな?」とA君に確認した上で、A君のいる場面で、A君に聞こえるように、B君に「すみませんでした」と謝ります。謝って終わりではなく て、「これからはどうしたらいいと思う?」などとA君(B君にも)投げかけます。自分の行動を振り返ることも大切なことだと思われます。

 

 途中で書いたように、この指導が成立するためには、事前の指導が必要です。「ありがとう」「ごめんなさい」「すみません」という言葉は相手の気持ちを大切にする言葉だと授業などで学ばせておきます。大人が電車で席を譲ってもらった時にどう言うかを例にあげて学習します。席を譲ってもらった人が、譲ってくれた人に「ありがとう」と言う場合もありますが、「ごめんなさい」とか「すみません」と言う場合もあります。自分が悪いことをしたから「ごめんなさい」とか「すみません」と謝っているのではな く、相手の気持ち(善意)に対して配慮するための言葉だと学ばせます。悪いことをした人が使うわけではないということがポイントです。誰も悪くない時に、相手の気持ちを大切に思って、「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」などと言うわけです。上の例で「すみませんでした」と言うように促すことは、2つの理由があります。1つは、「ごめんなさい」というのは、悪いことをしたときに謝る言葉だと、色々な場面で教え込まれてしまっている可能性があるからです。A君が「自分は悪くないからごめんなさいは言わない」と拒否するかもしれません。もう1つの理由は語原からです。「すみません」は「済みません」とも「澄みません」とも漢字 で書きます。「気持ちが済まない」つまり、気持ちの整理がつかないというニュアンスが含まれています。「気持ちが澄まない」も同様で、気持ちの中にモヤモヤが残ってしまうというニュアンスが含まれています。相手の気持ちも自分の気持ちも、整理がつかなかったり、モヤモヤするということを、口に出して表現して、気持ちを大切にする言葉が「すみません」という言葉なのです。こういった理由から、「すみませんでした」と謝意を表すことを促すのがよいと思われます。

 

AIカウンセリング

6月25日に放送されたNHKスペシャル「人工知能 天使か悪魔か 2017」を見ました。

本当に面白かったです。

人工知能が、大きく人間社会を変えていく可能性が示されていました。

AIを恐れるのではなく、人間が上手くAIを使っていくことを考えて行けば良いのだということがはっきり示されていました。

 

 AIが人間に取って代わるのではないか、という不安はもっともなことだと思います。しかし、AIは人間のすばらしさを際立たせてくれる存在になると感じました。

 

 番組では、将棋界の最高位・佐藤天彦名人と将棋AIポナンザの対戦を詳しく紹介していました。私には、将棋AIのポナンザの強さは、取り立てて驚くことではないように感じられました。コンピューターのハードウェアも進歩していますし、AIに取り込まれているデータの量も恐ろしい量です。人間よりも強いのは当然の帰結です。自動車が人間よりも速く走るということと同じことだと思います。将棋AIのポナンザと向き合う佐藤天彦名人の姿勢には大変感銘を受けました。

 

さて、ブログタイトルのAIカウンセリングですが、まだ実用化されていないと思います。AIカウンセリングも、そのうち実用化されてくるのではないかと、私は期待しています。AIとやりとりをして、クライエント(相談に来た人)の心が癒やされるのだろうか? という疑問をもつ人も多いようです。私は、AIのカウンセリングも人の心を癒やすことが十分できると考えています。なぜなら、カウンセリングでは、カウンセラーがクライエントの心を癒やすのではないからです。クライエント自身が自分の心を癒やすのです。カウンセラーは、クライエントがもともと持っている自分で癒えていく力が自然に働いていけるように手助けしているに過ぎません。

 

 AIカウンセリングで、心が癒えていくということは、カウンセラーがすごいのではなく、クライエント自身の心に力があるということをはっきりさせてくれるように思います。

 

 AIカウンセリングが身近な存在になる日を楽しみにしています。

ティーンズバリバラが面白かった

NHKのEテレで5月28日(日)夜7:00から、「ティーンズバリバラ ~発達障害の悩み~」が放送されていました。

 

スタジオに、発達障害のある中高生8人が集まって、色々とお話をしてくれていました。ひとり一人、個性があって、それぞれの人に「魅力的だなぁ~」と感じました。でも、多分、彼ら彼女たちは、今はかなり色々と苦労したり辛い思いをしたりしているのだろうなぁと、想像しました。そういった苦労などは、本当は、決してマイナスにはならず、プラスになっていくのだと思います。でも、中学生や高校生の頃には、なかなか先の見通しが持てないので、余計に苦労したり苦しい思いをしたりしているかもしれません。身近な人が、彼ら彼女たちを理解してくれて、そっと支えてくれたらどんなにか良いだろうと思います。

 

そういうなかで、笹森理絵さんが良い役割を果たしていました。笹森さんは、発達障害の当事者でNHKのハートネットにも度々登場していた方です。番組では「発達障害の先輩」として紹介されていました。笹森さんのコメントが暖かくて素敵でした。

再放送が6月2日(金)0:00(木曜深夜)にあるようです。ぜひ、見て下さい。

 

番組のホームページはこちらから

 

 

瞬間最高1位

今年の1月10日にほんの森出版から発行させていただいた「一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー」が、アマゾンのカウンセリング(学校教育)カテゴリーでなんと、1位になっていました(4月24日午前中)。その記念に画面をキャプチャしました。色んな人が本を購入してくれているんだなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。レビューにもすごく良いレビューを書いていただいていて感激しています。

 

 

一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのために
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのために

カンタにはトトロが見えるのでしょうか?

 「となりのトトロ」の登場人物の中で、トトロが見えるのは、多分メイとサツキだけです。カンタのおばあちゃんが小さい頃には見えたのかもしれません。カンタのおばあちゃんは、ススワタリに驚いているサツキに対して「そりゃあ、ススワタリだな。ばあちゃんにも小さな頃は見えたんだけんど」と言っています。昔は見えたのかもしれませんが、今はおばあちゃんには見えないようです。

 実はサツキにもトトロは見えたり見えなかったりするようです。お風呂のお湯をわかすために薪を庭先に取りに行くシーンでは、突風が巻き起こって、薪を空中へ舞あげてしまいます。後から考えるとこの場面では、トトロが地面近くの空を飛びながら、急上昇して木のてっぺんの所にとまったのではないかと想像されます。この場面はサツキを中心に描かれていますが、サツキにはここではトトロが見えていないのでしょう。

 ところで、カンタは、サツキと同級生ですが、多分、カンタにはトトロは見えないのです。この物語の秘密は、なぜサツキにトトロが見えて、カンタにはトトロが見えないのかというところにあります。

 カンタにはトトロが見えないということを入り口に子どものサポートについて考えてみます。

 

メイが学校へ来た日

 ある日、サツキが学校で勉強をしていると、カンタのおばあちゃんが学校へメイを連れてやってきました。メイはお姉ちゃんのサツキがいなくてさびしくなって、近所のカンタのおばあちゃんにわがままを言って学校まで連れてきてもらったようです。担任の先生は快くメイを教室に受け入れてくれて、メイはサツキの教室で一緒に机を並べて座り、お絵描きをして楽しく過ごしたようです。

 その帰りのことです。サツキとメイは一緒に学校から帰っていたのですが、途中で雨が降り出してしまいました。サツキとメイは、傘を持っていなかったために、雨の中を濡れて家に向かっていました。でも、あっという間に本降りになってしまい、2人はお地蔵さんのお堂で雨宿りをすることにしました。ちょうどそこに、傘をさしたカンタが通りかかります。カンタは、少し迷ったようですが、「ん!」と言ってサツキに自分のさしていた傘をつきだして、半ば無理矢理にサツキに傘を貸してくれました。そして、自分は傘をささないで、雨の中を走って行ってしまったのです。サツキに意地悪を言っていたカンタがつっけんどんに傘を貸してくれる様子が大変微笑ましく感じられるシーンです。

 

カンタはなぜ傘を持っていたのでしょうか?

 でも、なぜカンタは傘を持っていて、サツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタは、いわゆるやんちゃ坊主という雰囲気です。朝学校に行くときに、今日の天気を気にして傘を持っていくようなタイプには見えません。しかも、この日の朝は晴天でした。それにもかかわらず、なぜかカンタは傘を持っていたのです。なぜなのでしょう?

 実は、理由は極めて単純です。母親がカン太に傘を持って行かせたのでしょう。では反対に、なぜ、サツキは朝に傘を持って登校しなかったのでしょうか? この2人の違いを考えていくことは、子どもをサポートすることを考えていくことにつながってきます。

 

 ところで、カンタとサツキのおかれている状況は、見事な対比で描かれています。実は、カンタが持っている傘は、穴だらけのぼろぼろの傘です。そのため、傘をさしたところで、雨でずぶ濡れになってしまうように思われます。一方、サツキはこの場面では傘は持ってきていないのですが、家にはきちんとした、子ども用の赤い傘があるようです(この後のシーンで出てきます)。

 

 ここで、先ほどの疑問をもう一度考えてみて下さい、なぜ、ちゃんとした傘があるのに、このシーンではサツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタと正反対ですが、理由はやはり簡単です。サツキには、傘を持って登校するように言ってくれる人が誰もいなかったのです。サツキの母親は、病気で入院しています。父親も、遠くの仕事場まで朝早くに出かけてしまうのです。朝、登校するときには、サツキはメイを連れてひとりで家を出てきたのです。きちんとした物はあっても、サツキを気遣ってくれる大人のサポートが身近になかったのです。一方、カンタには、ボロ傘しかありませんが、気遣って持っていくように言ってくれる母親が身近にいたのです。

 

 みんなが傘をさして下校している様子を見て、サツキは、自分ひとりが傘を持っていないことにがっかりした気持ちになったかも知れません。必要な物を自分だけ持っていない状況は、自分ひとりだけ取り残されてような気持ちになるものです。サツキの心にはさびしい気持ちが押し寄せてきたかも知れません。

 

サポートの本質

 この2人の対比は、サポートの本質を明確に示してくれます。完璧なものが用意されていることがサポートの本質ではないのです。ボロ傘であっても持って行くようにいってくれる母親の気持ちがサポートなのです。つまり、サポート自体は不完全ではあっても相手のニーズに気づきそれをサポートしようという人間の意図が、サポートの本質なのです。

 「となりのトトロ」はこんなちょっとしたシーンにも、深い意味合いが隠されているように感じます。子どもも大人も、みんなが「となりのトトロ」を大好きなのは、知らず知らずのうちに、物語の中から深い意味合いを感じ取っているからだと思います。

 ところで、雨宿りをしているサツキたちを見かけたカンタは、ボロ傘を強引に貸してくれます。カンタがサツキのさびしい気持ちを深く感じ取ったのかどうかは、よくわかりません。困っていることは分かってくれたのでしょう。しかし、サツキとメイの2人で、カンタのボロ傘をさして家に帰っても、たぶんずぶ濡れになってしまうでしょう。雨に濡れるか濡れないかだけで考えれば、カンタの行動は全く意味がありません。そのことよりも、困っていることに気づき、助けてくれたカンタの気持ちそのものが大切なのです。カンタの優しさは、きっとサツキをしっかりとサポートしてくれたのだと思います。

 

サツキへのサポート

 こんなふうに、カンタは家庭でしっかりとサポートされていて、元気いっぱいに育っているのです。一方のサツキは、母親が入院しています。父親は優しい人ではあっても、なんだか頼りないかんじです。サツキは、家庭でしっかりとサポートされていないのです。しかし、家庭でのサポートが十分ではない所は、地域のサポートが補ってくれています。カンタのおばあちゃんが色々と面倒を見てくれたり、メイを預かってくれたり、学校でもメイを教室に入れて一緒に勉強させてくれたりという感じです。地域でサツキやメイをサポートしてくれています。

 しかし、地域のサポートも十分ではありません。父親をバス停まで迎えに行った時には、なかなか父親が帰ってきませんでした。そして、暗い夜道で小学校4年生のサツキと4歳のメイという姉妹が長い間父親を待つことになってしまったのです。ここでは、地域の人は誰も助けてはくれません。そんなときに、現れて姉妹を不安からサポートしてくれたのがトトロであり猫バスです。トトロと猫バスは地域のサポートが届かない場面で、子どもたちをしっかりと支えてくれたのです。トトロは、大クスの木の精で森の守り神というような存在ですから、人間を超えた自然のサポートと理解することができるでしょう。

 サツキに大人のサポートが届いていなかったとき、心が不安と緊張でいっぱいになってしまったときに、トトロが現れているのです。

 他にも、母親の病気という不安に直面したメイが勝手に病院まで出かけてしまって、迷子になってしまったときにもトトロが現れてサツキを助けてくれます。カンタやカンタのおばあちゃんや地域の人が総出で、メイの行方を捜しますが、見つかりません。ここでもやはり、トトロと猫バスがサツキとメイをサポートしてくれるのです。

 

 こんなふうに考えると、「となりのトトロ」の世界では、子どもたちが3重にサポートされていると考えることができます。一番内側のサポートは「家庭のサポート」で、その外側にあるのは「地域のサポート」、一番外側にあるのは「人間を超えた存在のサポート」という形で3重にサポートされています。

 

カンタへのサポート

 ところでカンタへのサポートはどうでしょうか?カンタは、上に書いたように、家庭でしっかりとサポートされています。そして、物語では描かれていませんが、多分、地域でもサポートされているでしょう。そして、本家ともそれなりのつながりがあって、電話を借りたりはできるようですし、本家のおばあちゃんからも優しい言葉をかけられています。つまり、カンタは、家庭と地域でしっかりとサポートされているのです。カンタには、人間を超えた存在のサポートは必要がないのです。多分、カンタはトトロとは出会うことなく、大人になっていくのでしょう。寂しいことかもしれませんが、幸せなことです。

 

ハッピーエンドに

 となりのトトロのお話しは、エンディング曲が流れる背景で、母親が帰宅してくる様子が描かれています。そしてサツキやメイは、元気いっぱいに他の子どもたちに入り交じって遊んでいる様子が描かれています。トトロは、雪だるまのモチーフとして、かろうじて存在をとどめています。母親の病気が治って、子どもたちは、家庭と地域でしっかりとサポートされ、トトロの出番はなくなりハッピーエンドでお話しは終わります。

 

現代のサツキは?

 ところで、現代のサツキはちゃんとハッピーエンドを迎えることができているのでしょうか? 様々な理由で家庭のサポートが十分ではない子どもたちも、しっかりと地域でサポートされているのでしょうか? しかも、本当に残念なことに現代の社会には、多分、トトロも猫バスもいないのです。家庭でも地域でもサポートされていない子どもたちには、現代の現実社会では、人間を超えた存在のサポートは届いていないでしょう。サツキのとなりにはトトロがいてくれたのですが、現代のサツキたちのとなりにはどのような存在がいて、きちんとサポートしてくれているのでしょうか?

 

 となりのトトロを見て何かを感じ取った私たちは、トトロの代わりに現代のサツキをサポートすることが求められています。

 

「となりのトトロ」サツキは頑張り屋さんなんだけど、本当は・・・

「となりのトトロ」の色々なシーンを取り上げながら、主人公のサツキについて、考えてみたいと思います。一見、サツキは元気で明るいよい子なのですが、詳しくみていくと、色んな面が見えてきます。

 

頑張り屋のサツキ

 サツキは、母親代わりになって、家族を支える頑張りやさんです。たとえば、父親が寝坊をしてすっかり寝過ごしてしまっても、サツキはメイに手伝わせながら朝食の準備を整えています。父親はメイに起こされてやっと起きます。そしてサツキが朝食を作っているのを見て「すまん、また寝過ごした。」と謝っています。「また寝過ごした」、と言っているところから、父親が寝過ごしてサツキが朝食を作ったのは今回だけではないことが分かります。しかも、サツキは、朝食だけではなく、お昼のお弁当まで作ります。サツキは「今日から私お弁当よ」「みんなのも作るね」とさわやかに言い、自分のお弁当だけではなく、父親とメイのお弁当まで作ってしまいます。メイはサツキにお弁当を作ってもらって、飛び上がって喜びます。そして、作ってもらった自分のお弁当を見つめながらうっとりとため息をつきます。メイは、本当にうれしそうに見えます。

 サツキは、家族みんなのことを考えて、細かく気配りをしているのです。その上に、こういった朝食とお弁当の準備という非常に忙しいさなかに、起こされてからやっと起きてきた父親に対して、文句一つ言わないのです。終始、元気で明るさがいっぱいです。サツキはすごく頑張っていて、非の打ち所がないような、よい子に思えます。

 また、サツキは父親のことも心配し、世話を焼きます。父親が傘を持たずに仕事に出かけてしまったときには、サツキはそれに気づいて、バス停まで父親の傘を持って迎えに行きます。しかし、父親が帰ってくるはずのバスには父親は乗っておらず、サツキはメイと一緒にバス停で待ち続けます。そのうちに、すっかり日は暮れてしまい、真っ暗な中に街灯の明かりだけが光っています。しかも、メイは疲れて、サツキの側で立ったままうとうとし始めます。サツキは仕方なく、メイを背負ってそのままバスを待ち続けるのです。メイはサツキに甘えることができたのですが、サツキは誰にも支えてもらうことができません。サツキ自身も、非常に心細い気持ちになっているはずですが、そのバス停で待ち続けるのです。サツキは本当に頑張っているのです。

 他にも、サツキは家族以外との連絡もきちんとこなします。サツキたちがカン太のおばあちゃんと一緒に畑で野菜の収穫をしているときに、電報が配達されて来ます。それは母親が入院している病院からのもので、連絡を求める内容です。カン太のおばあちゃんは、本家に行って電話を借りるように促します。サツキは、カン太の家の本家で電話を借りて、父親の研究室まで電話を掛けるのです。

 今では電話はごく日常的で手軽な道具ですが、サツキの時代には、特別なものだったと思われます。手軽さは全くありません。カン太がついてきてくれているとはいえ、見知らぬ家で電話を借りることは、簡単なことではないでしょう。しかも、電話はプッシュ式でもダイヤル式でもありません。交換手に掛ける先を伝えなくてはならないのです。サツキは、「市外をお願いします。」「東京の31局の1382番です。」と交換手に父親の大学の研究室の番号をきちんと伝えます。そして、電話がつながると「もしもし、考古学教室ですか? 父を、あの草壁をお願いします。」ときちんと話します。電話を掛けているときのサツキは、不安を強く抱えていて、しかも、それを一生懸命抑えているように見えます。母親の病気への不安に直面しながら、きちんと連絡をつけるということは、なかなかの仕事です。それを、サツキはしっかりとこなしています。ただ、10歳の子どもの果たす役割ではなく、家族に大人がいれば、その大人が果たす役割だと考えられます。やはり、サツキは相当な頑張りぶりなのです。

 

自分のことは後回しにするサツキ

 引っ越してきて何日かたって、サツキとメイ、そして父親の3人で、母親のところにお見舞いに行きます。大部屋の病室の扉をサツキとメイが開けて中へ入っていきます。サツキは最初に「こんにちは」と入り口近くの人にきちんと挨拶をします。そして、きちんと入ってきた扉を閉めます。サツキは、周囲の人への心配りがきちんとできているのです。

 一方、メイは母親のベッドまで、タタタタっと小走りに駆け寄ります。そして、「お母さん!!」とベッドの上の母親に飛びつくのです。メイは自分の気持ちだけで動いているようです。サツキとメイは非常に対称的です。

 そして、サツキは「今日、田植え休みなの」とやっと母親に向けて声を発します。その日が田植え休みだということはサツキにはもちろん分かっていることです。おそらくメイにも分かっていることでしょう。そのことを知らない母親のために、サツキは説明したのです。サツキは入院している母親に久しぶりにあったわけです。だから、会えてうれしい気持ちや病気についての心配など、いろんな気持ちをいっぱいに抱えているはずです。しかし、サツキは自分自身の思いは脇の方へどけておいて、母親が疑問に思いそうなことに目を向け、そのことについて優先して説明しているのです。

 その後、サツキは、母親に耳打ちをしてこっそり何かを伝えます。ところで、誰に聞かれないようにしているのでしょうか? その言葉以外は普通にしゃべっていますから、同じ病室の人に迷惑を掛けないよう気を遣って耳打ちをしているのではないと思われます。そうすると、サツキと母親以外にはメイしかいません。サツキは、メイに聞かれないように母親に耳打ちをしているのです。

 耳打ちを聞いて、母親は少し驚いて「えっ! お化け屋敷!?」と言います。うれしそうな表情にも見えます。メイが「お化け屋敷好き?」と聞くと、母親は「もちろん。早く退院してお化けに会いたいわ。」と言うのです。そして、サツキが「よかったね、メイ。」とメイを気遣います。こういったやりとりから考えると、サツキは「お家がボロで、お化けが住んでるお化け屋敷みたいなの。メイはお母さんがお化け屋敷は嫌じゃないかって心配しているの。」などと、メイの心配をこっそりと母親に伝えたのではないかと想像されます。サツキは、メイの心配を解消し、メイと母親の関係をつなごうと心を砕いているようです。

 もちろんサツキも少しはメイと同じように、母親が新しい家を気に入ってくれるかどうかは心配しているでしょう。メイの心配はサツキの心配でもあるはずです。しかし、サツキはそれを自分の心配として母親にストレートに打ち明けることをしていません。サツキは自分のことは二の次にして、他の家族のことを優先させているのです。

 結局、サツキは母親に自分のことや自分の気持ちを何一つ言っていません。自分以外の人のことを優先させて、自分のことは二の次にしているのです。

 

気持ちをぶつけるサツキ

 今まで見てきたように、サツキは頑張りやでよい子です。自分のことは後回しにして、他の人のことに気を配るのです。しかし、サツキもごく普通の人間ですし、小学4年生の子どもです。怒ったり、泣いたりすることもあるのが自然です。

 サツキが、一番に気持ちをぶつけているのは、妹のメイです。母親を見舞いに行ったときに、メイは「お姉ちゃんすぐ怒るの。」と母親に言っています。サツキはメイを叱ったり、怒ったりすることも多いようです。

 例えば、メイが初めてトトロに出会った後に、サツキと父親がメイを探す場面です。サツキがメイの帽子を見つけて、そばにあった木の小さなトンネルに入っていきます。その奥は少し広くなっていて、そこにメイは横たわっています。サツキがメイに何度も呼びかけたり揺すったりすると、メイは「ンー」と声を出します。どうやらメイはぐっすり眠っているのです。サツキは少しホッとしたようですが、次の瞬間メイに向かって「メイ!! こら!! 起きろ!!」と大声で言います。やっと目を覚ましたメイに向かって、サツキは「こんなところで寝てちゃだめでしょ!!」と怒るのです。冷静に考えると、この場合、怒られるのは、父親のはずです。4歳の子どもに昼食も食べさせないで、ほったらかしにしておいたのですから。その父親は、やっとトンネルをくぐって、その後少ししてそこに現れます。でも、サツキは父親には怒ったりしないのです。

 また、サツキが自分の感情を爆発させるのもメイに対してです。母親の入院している病院から電報があり、サツキが父親と連絡を取って、母親の一時帰宅が延期されると分かります。その後、サツキがメイに「お母さん、体の具合が悪いんだって。だから今度帰ってくるの、のばすって。」と説明します。しかし、メイは「やだーっ!!」と聞き分けがありません。サツキが、重ねて言って聞かせますが、メイは「やだーっ!!」の一点張りです。ついにサツキは感情を爆発させ「メイのバカ!!」「もう知らないっ!!」と叫び、メイをほったらかしにして一人で行ってしまいます。

 カン太に対してもサツキは自分の感情をはっきりとぶつけています。上に書いたメイに感情をぶつける場面にはカン太が居合わせています。この場面はカン太に直接に感情をぶつけたわけではないのですが、感情的な自分をカン太の前ではっきりと見せています。

 他にも、引っ越しの初日におはぎをカン太が持ってきてくれる場面では、カン太が「ヤーイ! お前んち、おっ化け、やっしき~!!」とサツキをからかってきます。サツキは、走り去るカン太に思いっきりあっかんべぇをしています。お母さんのお見舞いに行くときにも、父親の自転車の後ろに乗って、カン太にあっかんべぇをします。なお、どちらの場面でも、サツキの父親には、サツキがカン太にあっかんべぇをする様子は見えていません。サツキは、カン太には遠慮したり気を遣ったりせずに自分をぶつけられるようです。

 また、サツキは、カン太のおばあちゃんには、自分が抱えていた大きな不安をぶつけています。母親が一時帰宅できないと分かって、サツキとメイはすっかり落ち込んでしまいます。サツキは洗濯物も取り込まずに、ただゴロッと畳の上に横になっているだけです。そこへ、カン太の祖母が、心配して様子を見に来てくれます。カン太の祖母が、お米をとぎながら「お母さん風邪だっていうんだから、次の土曜日には戻ってくるよ。」と言ってサツキを元気づけようとします。サツキは、「この前もそうだったの、ほんのちょっと入院するだけだって、風邪みたいなものだって…。」と話し始めます。サツキは、不安を抑えて冷静さを保って話そうとしているように見えます。しかし、「お母さん死んじゃったらどうしよう!」と叫ぶように言い、母親が死んでしまうかもしれないという不安が吹き出してきます。そして、その場に立ちつくして、くしゃくしゃに顔をゆがめて、小さな子どものように泣きじゃくるのです。カン太の祖母は、一生懸命に不安を和らげようとサツキをなぐさめるのです。

 以上のように、サツキは、元気で明るく、よく気がついて頑張っている、本当によい子なのですが、もちろん一人の人間です。感情的になって、自分が抱えている感情を他人にぶつけてしまうこともあるのです。

 しかし、サツキが感情的になったり、誰かに感情をぶつけてしまうのは、父親や母親がいない場面に限られています。母親には気を遣い、負担を掛けまいとしています。父親にも、文句さえ言わず、一所懸命に母親代わりに家事をこなしているのです。そして、自分が本当に苦しんでいる不安は、父親にも母親にも打ち明けようとしませんし、ぶつけることもできないようです。

 しかし、少し救いがあるのは、サツキのお母さんはそういうサツキのことを少し分かっていることです。そして、病室では、サツキのことをやさしくサポートしてくれているのです。

 

 

サツキとメイが、お母さんのいない寂しさや不安と上手く付き合っていくのは、なぜ?

 「となりのトトロ」のお話しでは、サツキとメイは、お母さんが入院している状況で、知らない土地に引っ越して来るところから話が始まります。母親が病気で入院しているということは、子どもにとっては、大きな不安だと思われます。しかも、知らない土地に引っ越してくるわけですから、子どもたちの不安は非常に大きいのではないかと、想像されます。

 でも、引っ越しの当日の様子を見ると、サツキやメイは元気いっぱいの感じで、表面的には心配や不安は感じられません。どうしてでしょうか? 実は、不安が大きいときに、かえって元気いっぱいのように振る舞ってしまうというのは、子どもたちに良くあることです。妙にハイテンションになってしまう感じです。サツキとメイは、状況から考えると、心の奥には大きな不安を抱えていると想像するのが自然でしょう。特にサツキは自分のことは後回しにして、メイや父親を助けてくれるしっかりした長女です。だからこそ、父親やメイに心配をかけないように、気丈に振る舞っていると考えられます。

 つまり子どもたちは表面的には元気いっぱいなのですが、心の底の方には、母親のいない寂しさや母親の病気に対する不安が潜んでいるのです。

 

オバケという存在

 そういった子どもたちの感じている寂しさや不安といったマイナスの感情は、ススワタリやトトロといった「オバケ」という形で表れてきたのだと捉えられます。例えば、家族が引っ越してきた家は、かなりの「ボロ」で、子どもたちは「オバケ屋敷」だと感じます。つまり、「オバケ屋敷」という形で、家庭に対する不安が建物としての「家」に映し出されている(投影されている)と考えることができるのです。また、その後のオバケの登場シーンを見ていくと、サツキまたはメイが、緊張や不安、寂しさを感じているようなシーンに登場してきます。この点からも、子どもの感じている不安や寂しさが「オバケ」というイメージとして現れていると言えるわけです。

 

 ところで、この物語には、何種類かの「オバケ」が登場してきます。登場する順に並べると、「ススワタリ(まっくろくろすけ)」→「小トトロ」→「中トトロ」→「大トトロ」→「猫バス」となります。まっ黒な固まりに、眼がついただけのススワタリから、何かの動物のようなトトロへ、そして、イスや窓・行き先表示があり、しかも足が12本もあって、かなり複雑な姿の猫バスへと変化しています。つまり、非常に原始的で未分化なイメージから、高度に分化し発達したイメージへと順に変化していると言えます。こんなふうに、オバケたちが複雑で大きくな存在に変化していくことから、子どもの心の中の不安や寂しさが少しずつ変化して複雑で大きなものになっていっているのだろうと考えられます。

 

オバケと仲良くなる

 子どもたち不安がイメージとなって現れたオバケは、初めは、ススワタリのように非常に漠然としていて捉えどころのない存在でした。そして、次第に、怖いけれどもどこかユーモラスで親しみを感じさせる姿に発達していきます。しかし、どこかのアニメやゲームのように、邪悪な魔物や恐怖の魔王などは決して登場してこないのです。オバケが不安の表現だとすると、邪悪な魔物や恐怖の魔王が現れてくるというのは、不安がどんどん手に負えないものになって、ついには、不安に飲み込まれそうになってしまっていると想像されます。しかし、トトロも猫バスもそうではありません。でも反対に、トトロや猫バスといったオバケが出てこなくなる、つまり、不安がなくなるわけでもありません。「となりのトトロ」は、そのどちらでもないのです。サツキやメイは、なんとオバケと仲良くなってしまうのです。これは、どう捉えたら良いのでしょうか?

 これは、不安が解消された(オバケが出なくなる)わけではないけれど、不安に呑み込まれてしまわず、上手に付き合っていった(オバケと仲良くなった)ということなのだと考えられます。では、サツキとメイはどうして不安と上手に付き合っていくことができたのでしょうか? 実は、その背景と言える出来事は、物語の中にきちんと描かれています。

 

父親の姿勢

 「サツキとメイ」がなぜ不安に飲み込まれてしまわなかったかについてのヒントは、一番最初に「オバケ」に出会ったシーンにあります。それは、サツキとメイが、新しい家に引っ越してきて初めて2階に上がって、ススワタリの群れが壁の割れ目に逃げ込むのを目撃したシーンです。ここでは、サツキは強い不安におそわれたように見えます。そして、あわてて窓を開けて、庭にいる父親に向かって「お父さーん! やっぱりこの家、何かいる!!」と叫びます。すると、父親は「そりゃすごいぞ、オバケ屋敷に住むのが、子どもの時から、お父さんの夢だったんだ!」と応えます。

 似たようなやり取りは、その他のシーンでもいくつか出てきます。例えば、新しい家にやってきた直後に、サツキが家の中にドングリが落ちているのを見つるシーンです。サツキが「あっ、ドングリ!?」と驚きの声をあげると、父親は「リスでもいるのかな?」と天井を見上げます。さらに、「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」と言葉を続けます。この父親は決して、「家の中にドングリが落ちているわけないだろう」とか、「引っ越しで忙しいんだから、そんなことは後、後!」などとはいわないのです。

 父親は、家の中にドングリが落ちていたという驚きを子どもと共有し、子どもの目線で天井を見上げ、さらに、「リスでも…」とイメージをふくらませて、楽しんでいます。父親が子どもたちの不安をサポートしつ、不安と上手く付き合っていく姿勢を見せてくれたのです。こういった父親の姿勢に支えられて、子どもたちは不安を感じつつも、新たな生活に向かっていくことができたのだと考えられます。

 

  その後のシーンでも、同じような父親の姿勢が感じられます。例えば、メイが庭先で遊んでいてトトロの所に迷い込んでしまって、トトロに出会った時もそうです。父親はそのメイの体験をバカにしたり否定したりせず、「森の精にであったんだよ」と肯定的に意味づけ、「これからどうぞよろしくお願いします」とまじめに挨拶までしています。オバケが見守ってくれているのだというイメージを大きく膨らましてくれたのは、父親の働きなのです。そして、子どもたちはオバケと仲良くなって、母親のいない寂しさや不安と上手く付き合っていくことができたのだと考えられます。

 

学校心理士の論述試験問題

学校心理士の論述試験は例年8月の始めに行われています。2017年の年初にあたって、今年の論述試験に出題されそうな問題を考えてみました。

 

なお、学校心理士の論述試験では、必須問題と選択問題の2種類の問題が出題されます。問題1は必須問題で「学校心理学」についての設問になります。問題2は選択問題で、「A(特別支援教育)」「B(生徒指導・教育相談・キャリア教育)」の2種類から選択する形式となっています。

 

考えてみた問題です。

 

必須問題(学校心理学) 

学校が直面している様々な課題の解消に向けて「チームとしての学校」が注目されている。「チームとしての学校」の中で学校心理士の果たすべき役割について記述しなさい。

 

選択問題

B(生徒指導・教育相談・キャリア教育)

我が国では近年、自殺対策が効果を上げ、自殺者数は全体では減少傾向となっている。しかし、若年層においては、高止まりの傾向が続いていると言われている。学校教育においても、自殺予防の指導や支援は重要性が増している。自殺念慮のある子どもへの支援について、学校心理学の視点から記述しなさい。

 

回答例は、また後日作成します。

また、選択問題のA(特別支援教育)の問題ですが、私は特別支援教育については問題を作成できるほど専門性が高くないのでパスさせていただきます。

 

 

 

日立市教育研究所報に取り上げていただきました。

「りさーち」第275号(日立市教育研究所報)

11月19日(土)に、日立市教育研究所の研修会で「学校の欠席が多い子どもをサポートして成長を促す関わり方」というテーマでお話をさせていただきました。その時のことが、「りさーち」日立市教育研究所報 275 号に紹介されました。

 その一部を紹介します。

「不登校支援をどう考えるか、子どもの成長を促す関わり方のコツについて 講話をいただきました。 講話後、参加希望者によるミーティングを行いました。不登校問題に直面している参加者からは、現在の悩みやこれまでの対応、今後の支援の在り方などについて、次々と質問が出されました。半田先生は、現在の子どもや支援者の良い行動を確認しながら、これからの支援の方向性について具体的に助言 してくださいました。先の見えない不安や焦りを抱えている参加者にとって、目の前にいる子どもの対 応や支援の方法を考える貴重な時間となりました。」

 

 

http://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/001/004/p010682_d/fil/275.pdf

 

 

 

学校心理学ハンドブック 第2版 チーム学校の充実を目指して

学校心理学ハンドブック 第2版 チーム学校の充実を目指して 教育出版
学校心理学ハンドブック 第2版 チーム学校の充実を目指して

日本学校心理学会(編)の「学校心理学ハンドブック」の第2版が教育出版社から出版されました。大幅改訂されています。私も少し書かせていただきました。

 

第1版と第2版を重ねて置いてみました。

 

学校心理士の皆さんや学校心理士を目指す人には必携の本です。

 

本体は2000円です。リーズナブルな価格設定ですね。