一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー

1月10日にほんの森出版から出版された「一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのために」が好評を得ております。

 

勤務先の学校で紹介させていただきましたが、何人かの先生方が買って下さいました。「面白い」「分かりやすい」とのことで、好意的な評価をいただきました。

 

アマゾンでも少しずつ売れております。先日は、アマゾンのカウンセリングの売れ筋ランキングで4位に入りました。うれしかったので、その時の画像を記念にキャプチャしておきました。

 

 特に、尊敬する大河原美以先生の「怒りをコントロールできない子の理解と援助」と並んでランキング入りしているのがうれしいです。私の本は、ランキングの順位では激しく上がったり下がったりしていますが、大河原美以先生の本は、コンスタントに上位をキープされています。私も持っておりますし、読ませてもらいましたが大変勉強になる本ですね。2004年の発行の本ですが、今でもお勧めです。

 さて、私の本ですが、学校の日常生活の中で使えるカウンセリグを活かした子どもへのかかわり方に書いています。学校で生じがちで対応に困るような色々な場面を設定して、その時に子どもにどんなふうに声をかけるのかを、具体的に紹介しています。

 

 例えば、廊下でこちらに暴言を投げつけてくる生徒へのかかわり方とか、毎日のように不定愁訴を訴えて保健室にやってくる子どもへのかかわり方、人のことばかり言いつけてくる子どもへのかかわり方とか、色々です。

 

 学校現場は、時間を確保して子どもにじっくりかかわわることが難しいことも多いので、10秒や30秒、3分といったごく短い時間でできることを紹介しています。ほんの森出版のホームページからは本文の一部を読むことができますので、気になる方は確認してみて下さい。

 

4月19日 追記

アマゾンで2名のレビュアーからレビューされていました。どちらも、好意的なコメントで大変嬉しい気持ちです。レビューはアマゾンのサイトからどうぞ。

カンタにはトトロが見えるのでしょうか?

 「となりのトトロ」の登場人物の中で、トトロが見えるのは、多分メイとサツキだけです。カンタのおばあちゃんが小さい頃には見えたのかもしれません。カンタのおばあちゃんは、ススワタリに驚いているサツキに対して「そりゃあ、ススワタリだな。ばあちゃんにも小さな頃は見えたんだけんど」と言っています。昔は見えたのかもしれませんが、今はおばあちゃんには見えないようです。

 実はサツキにもトトロは見えたり見えなかったりするようです。お風呂のお湯をわかすために薪を庭先に取りに行くシーンでは、突風が巻き起こって、薪を空中へ舞あげてしまいます。後から考えるとこの場面では、トトロが地面近くの空を飛びながら、急上昇して木のてっぺんの所にとまったのではないかと想像されます。この場面はサツキを中心に描かれていますが、サツキにはここではトトロが見えていないのでしょう。

 ところで、カンタは、サツキと同級生ですが、多分、カンタにはトトロは見えないのです。この物語の秘密は、なぜサツキにトトロが見えて、カンタにはトトロが見えないのかというところにあります。

 カンタにはトトロが見えないということを入り口に子どものサポートについて考えてみます。

 

メイが学校へ来た日

 ある日、サツキが学校で勉強をしていると、カンタのおばあちゃんが学校へメイを連れてやってきました。メイはお姉ちゃんのサツキがいなくてさびしくなって、近所のカンタのおばあちゃんにわがままを言って学校まで連れてきてもらったようです。担任の先生は快くメイを教室に受け入れてくれて、メイはサツキの教室で一緒に机を並べて座り、お絵描きをして楽しく過ごしたようです。

 その帰りのことです。サツキとメイは一緒に学校から帰っていたのですが、途中で雨が降り出してしまいました。サツキとメイは、傘を持っていなかったために、雨の中を濡れて家に向かっていました。でも、あっという間に本降りになってしまい、2人はお地蔵さんのお堂で雨宿りをすることにしました。ちょうどそこに、傘をさしたカンタが通りかかります。カンタは、少し迷ったようですが、「ん!」と言ってサツキに自分のさしていた傘をつきだして、半ば無理矢理にサツキに傘を貸してくれました。そして、自分は傘をささないで、雨の中を走って行ってしまったのです。サツキに意地悪を言っていたカンタがつっけんどんに傘を貸してくれる様子が大変微笑ましく感じられるシーンです。

 

カンタはなぜ傘を持っていたのでしょうか?

 でも、なぜカンタは傘を持っていて、サツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタは、いわゆるやんちゃ坊主という雰囲気です。朝学校に行くときに、今日の天気を気にして傘を持っていくようなタイプには見えません。しかも、この日の朝は晴天でした。それにもかかわらず、なぜかカンタは傘を持っていたのです。なぜなのでしょう?

 実は、理由は極めて単純です。母親がカン太に傘を持って行かせたのでしょう。では反対に、なぜ、サツキは朝に傘を持って登校しなかったのでしょうか? この2人の違いを考えていくことは、子どもをサポートすることを考えていくことにつながってきます。

 

 ところで、カンタとサツキのおかれている状況は、見事な対比で描かれています。実は、カンタが持っている傘は、穴だらけのぼろぼろの傘です。そのため、傘をさしたところで、雨でずぶ濡れになってしまうように思われます。一方、サツキはこの場面では傘は持ってきていないのですが、家にはきちんとした、子ども用の赤い傘があるようです(この後のシーンで出てきます)。

 

 ここで、先ほどの疑問をもう一度考えてみて下さい、なぜ、ちゃんとした傘があるのに、このシーンではサツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタと正反対ですが、理由はやはり簡単です。サツキには、傘を持って登校するように言ってくれる人が誰もいなかったのです。サツキの母親は、病気で入院しています。父親も、遠くの仕事場まで朝早くに出かけてしまうのです。朝、登校するときには、サツキはメイを連れてひとりで家を出てきたのです。きちんとした物はあっても、サツキを気遣ってくれる大人のサポートが身近になかったのです。一方、カンタには、ボロ傘しかありませんが、気遣って持っていくように言ってくれる母親が身近にいたのです。

 

 みんなが傘をさして下校している様子を見て、サツキは、自分ひとりが傘を持っていないことにがっかりした気持ちになったかも知れません。必要な物を自分だけ持っていない状況は、自分ひとりだけ取り残されてような気持ちになるものです。サツキの心にはさびしい気持ちが押し寄せてきたかも知れません。

 

サポートの本質

 この2人の対比は、サポートの本質を明確に示してくれます。完璧なものが用意されていることがサポートの本質ではないのです。ボロ傘であっても持って行くようにいってくれる母親の気持ちがサポートなのです。つまり、サポート自体は不完全ではあっても相手のニーズに気づきそれをサポートしようという人間の意図が、サポートの本質なのです。

 「となりのトトロ」はこんなちょっとしたシーンにも、深い意味合いが隠されているように感じます。子どもも大人も、みんなが「となりのトトロ」を大好きなのは、知らず知らずのうちに、物語の中から深い意味合いを感じ取っているからだと思います。

 ところで、雨宿りをしているサツキたちを見かけたカンタは、ボロ傘を強引に貸してくれます。カンタがサツキのさびしい気持ちを深く感じ取ったのかどうかは、よくわかりません。困っていることは分かってくれたのでしょう。しかし、サツキとメイの2人で、カンタのボロ傘をさして家に帰っても、たぶんずぶ濡れになってしまうでしょう。雨に濡れるか濡れないかだけで考えれば、カンタの行動は全く意味がありません。そのことよりも、困っていることに気づき、助けてくれたカンタの気持ちそのものが大切なのです。カンタの優しさは、きっとサツキをしっかりとサポートしてくれたのだと思います。

 

サツキへのサポート

 こんなふうに、カンタは家庭でしっかりとサポートされていて、元気いっぱいに育っているのです。一方のサツキは、母親が入院しています。父親は優しい人ではあっても、なんだか頼りないかんじです。サツキは、家庭でしっかりとサポートされていないのです。しかし、家庭でのサポートが十分ではない所は、地域のサポートが補ってくれています。カンタのおばあちゃんが色々と面倒を見てくれたり、メイを預かってくれたり、学校でもメイを教室に入れて一緒に勉強させてくれたりという感じです。地域でサツキやメイをサポートしてくれています。

 しかし、地域のサポートも十分ではありません。父親をバス停まで迎えに行った時には、なかなか父親が帰ってきませんでした。そして、暗い夜道で小学校4年生のサツキと4歳のメイという姉妹が長い間父親を待つことになってしまったのです。ここでは、地域の人は誰も助けてはくれません。そんなときに、現れて姉妹を不安からサポートしてくれたのがトトロであり猫バスです。トトロと猫バスは地域のサポートが届かない場面で、子どもたちをしっかりと支えてくれたのです。トトロは、大クスの木の精で森の守り神というような存在ですから、人間を超えた自然のサポートと理解することができるでしょう。

 サツキに大人のサポートが届いていなかったとき、心が不安と緊張でいっぱいになってしまったときに、トトロが現れているのです。

 他にも、母親の病気という不安に直面したメイが勝手に病院まで出かけてしまって、迷子になってしまったときにもトトロが現れてサツキを助けてくれます。カンタやカンタのおばあちゃんや地域の人が総出で、メイの行方を捜しますが、見つかりません。ここでもやはり、トトロと猫バスがサツキとメイをサポートしてくれるのです。

 

 こんなふうに考えると、「となりのトトロ」の世界では、子どもたちが3重にサポートされていると考えることができます。一番内側のサポートは「家庭のサポート」で、その外側にあるのは「地域のサポート」、一番外側にあるのは「人間を超えた存在のサポート」という形で3重にサポートされています。

 

カンタへのサポート

 ところでカンタへのサポートはどうでしょうか?カンタは、上に書いたように、家庭でしっかりとサポートされています。そして、物語では描かれていませんが、多分、地域でもサポートされているでしょう。そして、本家ともそれなりのつながりがあって、電話を借りたりはできるようですし、本家のおばあちゃんからも優しい言葉をかけられています。つまり、カンタは、家庭と地域でしっかりとサポートされているのです。カンタには、人間を超えた存在のサポートは必要がないのです。多分、カンタはトトロとは出会うことなく、大人になっていくのでしょう。寂しいことかもしれませんが、幸せなことです。

 

ハッピーエンドに

 となりのトトロのお話しは、エンディング曲が流れる背景で、母親が帰宅してくる様子が描かれています。そしてサツキやメイは、元気いっぱいに他の子どもたちに入り交じって遊んでいる様子が描かれています。トトロは、雪だるまのモチーフとして、かろうじて存在をとどめています。母親の病気が治って、子どもたちは、家庭と地域でしっかりとサポートされ、トトロの出番はなくなりハッピーエンドでお話しは終わります。

 

現代のサツキは?

 ところで、現代のサツキはちゃんとハッピーエンドを迎えることができているのでしょうか? 様々な理由で家庭のサポートが十分ではない子どもたちも、しっかりと地域でサポートされているのでしょうか? しかも、本当に残念なことに現代の社会には、多分、トトロも猫バスもいないのです。家庭でも地域でもサポートされていない子どもたちには、現代の現実社会では、人間を超えた存在のサポートは届いていないでしょう。サツキのとなりにはトトロがいてくれたのですが、現代のサツキたちのとなりにはどのような存在がいて、きちんとサポートしてくれているのでしょうか?

 

 となりのトトロを見て何かを感じ取った私たちは、トトロの代わりに現代のサツキをサポートすることが求められています。

 

「となりのトトロ」サツキは頑張り屋さんなんだけど、本当は・・・

「となりのトトロ」の色々なシーンを取り上げながら、主人公のサツキについて、考えてみたいと思います。一見、サツキは元気で明るいよい子なのですが、詳しくみていくと、色んな面が見えてきます。

 

頑張り屋のサツキ

 サツキは、母親代わりになって、家族を支える頑張りやさんです。たとえば、父親が寝坊をしてすっかり寝過ごしてしまっても、サツキはメイに手伝わせながら朝食の準備を整えています。父親はメイに起こされてやっと起きます。そしてサツキが朝食を作っているのを見て「すまん、また寝過ごした。」と謝っています。「また寝過ごした」、と言っているところから、父親が寝過ごしてサツキが朝食を作ったのは今回だけではないことが分かります。しかも、サツキは、朝食だけではなく、お昼のお弁当まで作ります。サツキは「今日から私お弁当よ」「みんなのも作るね」とさわやかに言い、自分のお弁当だけではなく、父親とメイのお弁当まで作ってしまいます。メイはサツキにお弁当を作ってもらって、飛び上がって喜びます。そして、作ってもらった自分のお弁当を見つめながらうっとりとため息をつきます。メイは、本当にうれしそうに見えます。

 サツキは、家族みんなのことを考えて、細かく気配りをしているのです。その上に、こういった朝食とお弁当の準備という非常に忙しいさなかに、起こされてからやっと起きてきた父親に対して、文句一つ言わないのです。終始、元気で明るさがいっぱいです。サツキはすごく頑張っていて、非の打ち所がないような、よい子に思えます。

 また、サツキは父親のことも心配し、世話を焼きます。父親が傘を持たずに仕事に出かけてしまったときには、サツキはそれに気づいて、バス停まで父親の傘を持って迎えに行きます。しかし、父親が帰ってくるはずのバスには父親は乗っておらず、サツキはメイと一緒にバス停で待ち続けます。そのうちに、すっかり日は暮れてしまい、真っ暗な中に街灯の明かりだけが光っています。しかも、メイは疲れて、サツキの側で立ったままうとうとし始めます。サツキは仕方なく、メイを背負ってそのままバスを待ち続けるのです。メイはサツキに甘えることができたのですが、サツキは誰にも支えてもらうことができません。サツキ自身も、非常に心細い気持ちになっているはずですが、そのバス停で待ち続けるのです。サツキは本当に頑張っているのです。

 他にも、サツキは家族以外との連絡もきちんとこなします。サツキたちがカン太のおばあちゃんと一緒に畑で野菜の収穫をしているときに、電報が配達されて来ます。それは母親が入院している病院からのもので、連絡を求める内容です。カン太のおばあちゃんは、本家に行って電話を借りるように促します。サツキは、カン太の家の本家で電話を借りて、父親の研究室まで電話を掛けるのです。

 今では電話はごく日常的で手軽な道具ですが、サツキの時代には、特別なものだったと思われます。手軽さは全くありません。カン太がついてきてくれているとはいえ、見知らぬ家で電話を借りることは、簡単なことではないでしょう。しかも、電話はプッシュ式でもダイヤル式でもありません。交換手に掛ける先を伝えなくてはならないのです。サツキは、「市外をお願いします。」「東京の31局の1382番です。」と交換手に父親の大学の研究室の番号をきちんと伝えます。そして、電話がつながると「もしもし、考古学教室ですか? 父を、あの草壁をお願いします。」ときちんと話します。電話を掛けているときのサツキは、不安を強く抱えていて、しかも、それを一生懸命抑えているように見えます。母親の病気への不安に直面しながら、きちんと連絡をつけるということは、なかなかの仕事です。それを、サツキはしっかりとこなしています。ただ、10歳の子どもの果たす役割ではなく、家族に大人がいれば、その大人が果たす役割だと考えられます。やはり、サツキは相当な頑張りぶりなのです。

 

自分のことは後回しにするサツキ

 引っ越してきて何日かたって、サツキとメイ、そして父親の3人で、母親のところにお見舞いに行きます。大部屋の病室の扉をサツキとメイが開けて中へ入っていきます。サツキは最初に「こんにちは」と入り口近くの人にきちんと挨拶をします。そして、きちんと入ってきた扉を閉めます。サツキは、周囲の人への心配りがきちんとできているのです。

 一方、メイは母親のベッドまで、タタタタっと小走りに駆け寄ります。そして、「お母さん!!」とベッドの上の母親に飛びつくのです。メイは自分の気持ちだけで動いているようです。サツキとメイは非常に対称的です。

 そして、サツキは「今日、田植え休みなの」とやっと母親に向けて声を発します。その日が田植え休みだということはサツキにはもちろん分かっていることです。おそらくメイにも分かっていることでしょう。そのことを知らない母親のために、サツキは説明したのです。サツキは入院している母親に久しぶりにあったわけです。だから、会えてうれしい気持ちや病気についての心配など、いろんな気持ちをいっぱいに抱えているはずです。しかし、サツキは自分自身の思いは脇の方へどけておいて、母親が疑問に思いそうなことに目を向け、そのことについて優先して説明しているのです。

 その後、サツキは、母親に耳打ちをしてこっそり何かを伝えます。ところで、誰に聞かれないようにしているのでしょうか? その言葉以外は普通にしゃべっていますから、同じ病室の人に迷惑を掛けないよう気を遣って耳打ちをしているのではないと思われます。そうすると、サツキと母親以外にはメイしかいません。サツキは、メイに聞かれないように母親に耳打ちをしているのです。

 耳打ちを聞いて、母親は少し驚いて「えっ! お化け屋敷!?」と言います。うれしそうな表情にも見えます。メイが「お化け屋敷好き?」と聞くと、母親は「もちろん。早く退院してお化けに会いたいわ。」と言うのです。そして、サツキが「よかったね、メイ。」とメイを気遣います。こういったやりとりから考えると、サツキは「お家がボロで、お化けが住んでるお化け屋敷みたいなの。メイはお母さんがお化け屋敷は嫌じゃないかって心配しているの。」などと、メイの心配をこっそりと母親に伝えたのではないかと想像されます。サツキは、メイの心配を解消し、メイと母親の関係をつなごうと心を砕いているようです。

 もちろんサツキも少しはメイと同じように、母親が新しい家を気に入ってくれるかどうかは心配しているでしょう。メイの心配はサツキの心配でもあるはずです。しかし、サツキはそれを自分の心配として母親にストレートに打ち明けることをしていません。サツキは自分のことは二の次にして、他の家族のことを優先させているのです。

 結局、サツキは母親に自分のことや自分の気持ちを何一つ言っていません。自分以外の人のことを優先させて、自分のことは二の次にしているのです。

 

気持ちをぶつけるサツキ

 今まで見てきたように、サツキは頑張りやでよい子です。自分のことは後回しにして、他の人のことに気を配るのです。しかし、サツキもごく普通の人間ですし、小学4年生の子どもです。怒ったり、泣いたりすることもあるのが自然です。

 サツキが、一番に気持ちをぶつけているのは、妹のメイです。母親を見舞いに行ったときに、メイは「お姉ちゃんすぐ怒るの。」と母親に言っています。サツキはメイを叱ったり、怒ったりすることも多いようです。

 例えば、メイが初めてトトロに出会った後に、サツキと父親がメイを探す場面です。サツキがメイの帽子を見つけて、そばにあった木の小さなトンネルに入っていきます。その奥は少し広くなっていて、そこにメイは横たわっています。サツキがメイに何度も呼びかけたり揺すったりすると、メイは「ンー」と声を出します。どうやらメイはぐっすり眠っているのです。サツキは少しホッとしたようですが、次の瞬間メイに向かって「メイ!! こら!! 起きろ!!」と大声で言います。やっと目を覚ましたメイに向かって、サツキは「こんなところで寝てちゃだめでしょ!!」と怒るのです。冷静に考えると、この場合、怒られるのは、父親のはずです。4歳の子どもに昼食も食べさせないで、ほったらかしにしておいたのですから。その父親は、やっとトンネルをくぐって、その後少ししてそこに現れます。でも、サツキは父親には怒ったりしないのです。

 また、サツキが自分の感情を爆発させるのもメイに対してです。母親の入院している病院から電報があり、サツキが父親と連絡を取って、母親の一時帰宅が延期されると分かります。その後、サツキがメイに「お母さん、体の具合が悪いんだって。だから今度帰ってくるの、のばすって。」と説明します。しかし、メイは「やだーっ!!」と聞き分けがありません。サツキが、重ねて言って聞かせますが、メイは「やだーっ!!」の一点張りです。ついにサツキは感情を爆発させ「メイのバカ!!」「もう知らないっ!!」と叫び、メイをほったらかしにして一人で行ってしまいます。

 カン太に対してもサツキは自分の感情をはっきりとぶつけています。上に書いたメイに感情をぶつける場面にはカン太が居合わせています。この場面はカン太に直接に感情をぶつけたわけではないのですが、感情的な自分をカン太の前ではっきりと見せています。

 他にも、引っ越しの初日におはぎをカン太が持ってきてくれる場面では、カン太が「ヤーイ! お前んち、おっ化け、やっしき~!!」とサツキをからかってきます。サツキは、走り去るカン太に思いっきりあっかんべぇをしています。お母さんのお見舞いに行くときにも、父親の自転車の後ろに乗って、カン太にあっかんべぇをします。なお、どちらの場面でも、サツキの父親には、サツキがカン太にあっかんべぇをする様子は見えていません。サツキは、カン太には遠慮したり気を遣ったりせずに自分をぶつけられるようです。

 また、サツキは、カン太のおばあちゃんには、自分が抱えていた大きな不安をぶつけています。母親が一時帰宅できないと分かって、サツキとメイはすっかり落ち込んでしまいます。サツキは洗濯物も取り込まずに、ただゴロッと畳の上に横になっているだけです。そこへ、カン太の祖母が、心配して様子を見に来てくれます。カン太の祖母が、お米をとぎながら「お母さん風邪だっていうんだから、次の土曜日には戻ってくるよ。」と言ってサツキを元気づけようとします。サツキは、「この前もそうだったの、ほんのちょっと入院するだけだって、風邪みたいなものだって…。」と話し始めます。サツキは、不安を抑えて冷静さを保って話そうとしているように見えます。しかし、「お母さん死んじゃったらどうしよう!」と叫ぶように言い、母親が死んでしまうかもしれないという不安が吹き出してきます。そして、その場に立ちつくして、くしゃくしゃに顔をゆがめて、小さな子どものように泣きじゃくるのです。カン太の祖母は、一生懸命に不安を和らげようとサツキをなぐさめるのです。

 以上のように、サツキは、元気で明るく、よく気がついて頑張っている、本当によい子なのですが、もちろん一人の人間です。感情的になって、自分が抱えている感情を他人にぶつけてしまうこともあるのです。

 しかし、サツキが感情的になったり、誰かに感情をぶつけてしまうのは、父親や母親がいない場面に限られています。母親には気を遣い、負担を掛けまいとしています。父親にも、文句さえ言わず、一所懸命に母親代わりに家事をこなしているのです。そして、自分が本当に苦しんでいる不安は、父親にも母親にも打ち明けようとしませんし、ぶつけることもできないようです。

 しかし、少し救いがあるのは、サツキのお母さんはそういうサツキのことを少し分かっていることです。そして、病室では、サツキのことをやさしくサポートしてくれているのです。

 

 

サツキとメイが、お母さんのいない寂しさや不安と上手く付き合っていくのは、なぜ?

 「となりのトトロ」のお話しでは、サツキとメイは、お母さんが入院している状況で、知らない土地に引っ越して来るところから話が始まります。母親が病気で入院しているということは、子どもにとっては、大きな不安だと思われます。しかも、知らない土地に引っ越してくるわけですから、子どもたちの不安は非常に大きいのではないかと、想像されます。

 でも、引っ越しの当日の様子を見ると、サツキやメイは元気いっぱいの感じで、表面的には心配や不安は感じられません。どうしてでしょうか? 実は、不安が大きいときに、かえって元気いっぱいのように振る舞ってしまうというのは、子どもたちに良くあることです。妙にハイテンションになってしまう感じです。サツキとメイは、状況から考えると、心の奥には大きな不安を抱えていると想像するのが自然でしょう。特にサツキは自分のことは後回しにして、メイや父親を助けてくれるしっかりした長女です。だからこそ、父親やメイに心配をかけないように、気丈に振る舞っていると考えられます。

 つまり子どもたちは表面的には元気いっぱいなのですが、心の底の方には、母親のいない寂しさや母親の病気に対する不安が潜んでいるのです。

 

オバケという存在

 そういった子どもたちの感じている寂しさや不安といったマイナスの感情は、ススワタリやトトロといった「オバケ」という形で表れてきたのだと捉えられます。例えば、家族が引っ越してきた家は、かなりの「ボロ」で、子どもたちは「オバケ屋敷」だと感じます。つまり、「オバケ屋敷」という形で、家庭に対する不安が建物としての「家」に映し出されている(投影されている)と考えることができるのです。また、その後のオバケの登場シーンを見ていくと、サツキまたはメイが、緊張や不安、寂しさを感じているようなシーンに登場してきます。この点からも、子どもの感じている不安や寂しさが「オバケ」というイメージとして現れていると言えるわけです。

 

 ところで、この物語には、何種類かの「オバケ」が登場してきます。登場する順に並べると、「ススワタリ(まっくろくろすけ)」→「小トトロ」→「中トトロ」→「大トトロ」→「猫バス」となります。まっ黒な固まりに、眼がついただけのススワタリから、何かの動物のようなトトロへ、そして、イスや窓・行き先表示があり、しかも足が12本もあって、かなり複雑な姿の猫バスへと変化しています。つまり、非常に原始的で未分化なイメージから、高度に分化し発達したイメージへと順に変化していると言えます。こんなふうに、オバケたちが複雑で大きくな存在に変化していくことから、子どもの心の中の不安や寂しさが少しずつ変化して複雑で大きなものになっていっているのだろうと考えられます。

 

オバケと仲良くなる

 子どもたち不安がイメージとなって現れたオバケは、初めは、ススワタリのように非常に漠然としていて捉えどころのない存在でした。そして、次第に、怖いけれどもどこかユーモラスで親しみを感じさせる姿に発達していきます。しかし、どこかのアニメやゲームのように、邪悪な魔物や恐怖の魔王などは決して登場してこないのです。オバケが不安の表現だとすると、邪悪な魔物や恐怖の魔王が現れてくるというのは、不安がどんどん手に負えないものになって、ついには、不安に飲み込まれそうになってしまっていると想像されます。しかし、トトロも猫バスもそうではありません。でも反対に、トトロや猫バスといったオバケが出てこなくなる、つまり、不安がなくなるわけでもありません。「となりのトトロ」は、そのどちらでもないのです。サツキやメイは、なんとオバケと仲良くなってしまうのです。これは、どう捉えたら良いのでしょうか?

 これは、不安が解消された(オバケが出なくなる)わけではないけれど、不安に呑み込まれてしまわず、上手に付き合っていった(オバケと仲良くなった)ということなのだと考えられます。では、サツキとメイはどうして不安と上手に付き合っていくことができたのでしょうか? 実は、その背景と言える出来事は、物語の中にきちんと描かれています。

 

父親の姿勢

 「サツキとメイ」がなぜ不安に飲み込まれてしまわなかったかについてのヒントは、一番最初に「オバケ」に出会ったシーンにあります。それは、サツキとメイが、新しい家に引っ越してきて初めて2階に上がって、ススワタリの群れが壁の割れ目に逃げ込むのを目撃したシーンです。ここでは、サツキは強い不安におそわれたように見えます。そして、あわてて窓を開けて、庭にいる父親に向かって「お父さーん! やっぱりこの家、何かいる!!」と叫びます。すると、父親は「そりゃすごいぞ、オバケ屋敷に住むのが、子どもの時から、お父さんの夢だったんだ!」と応えます。

 似たようなやり取りは、その他のシーンでもいくつか出てきます。例えば、新しい家にやってきた直後に、サツキが家の中にドングリが落ちているのを見つるシーンです。サツキが「あっ、ドングリ!?」と驚きの声をあげると、父親は「リスでもいるのかな?」と天井を見上げます。さらに、「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」と言葉を続けます。この父親は決して、「家の中にドングリが落ちているわけないだろう」とか、「引っ越しで忙しいんだから、そんなことは後、後!」などとはいわないのです。

 父親は、家の中にドングリが落ちていたという驚きを子どもと共有し、子どもの目線で天井を見上げ、さらに、「リスでも…」とイメージをふくらませて、楽しんでいます。父親が子どもたちの不安をサポートしつ、不安と上手く付き合っていく姿勢を見せてくれたのです。こういった父親の姿勢に支えられて、子どもたちは不安を感じつつも、新たな生活に向かっていくことができたのだと考えられます。

 

  その後のシーンでも、同じような父親の姿勢が感じられます。例えば、メイが庭先で遊んでいてトトロの所に迷い込んでしまって、トトロに出会った時もそうです。父親はそのメイの体験をバカにしたり否定したりせず、「森の精にであったんだよ」と肯定的に意味づけ、「これからどうぞよろしくお願いします」とまじめに挨拶までしています。オバケが見守ってくれているのだというイメージを大きく膨らましてくれたのは、父親の働きなのです。そして、子どもたちはオバケと仲良くなって、母親のいない寂しさや不安と上手く付き合っていくことができたのだと考えられます。

 

一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング

一瞬で良い変化を起こす10秒30秒3分カウンセリングすべての教師とスクールカウンセラーのために
一瞬で良い変化を起こす10秒30秒3分カウンセリングすべての教師とスクールカウンセラーのために

もうすぐほんの森出版から『月刊学校教育相談』の1月号増刊として本が出ます。

 

「一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング-すべての教師とスクールカウンセラーのために」というタイトルです。

 

今までスクールカウンセラーとして現場で経験してきたことを、詰め込んであります。副題は、「すべての教師とスクールカウンセラーのために」となっています。本当に、先生方やスクールカウンセラーに役立つ本だと思っています。

 

以前、『月刊 学校教育相談』で5分から10分でできるかかわり方についての特集がありました。学校現場は忙しいから、先生方にとって少しでも役に立つヒントを提供しようということで、短い時間でできるかかわり方の工夫について特集したとのことを編集者から伺いました。

 

ところが、読者の方からその特集に対して、「5分や10分という時間を見つけることも学校現場ではなかなか難しい」という声が寄せられたそうです。

 

 

そこで、10秒、30秒、3分という本当に短い時間でできるかかわり方の工夫をまとめてみましょうということで、この本は作成されました。

 

今、最後の校正中ですので、来月12月の中旬には発売されると思います。

 

1月に単行本として出版されますので、単行本のアマゾンでのリンクを貼っておきます。ここからアマゾンに飛びます。(『月刊学校教育相談』の増刊号は、定期購読の冊数しか印刷されないということで、一般には手に入りません。)