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4つの自分

スクールカウンセラー便り から

 スクールカウンセラーとして勤務している中学校で、「スクールカウンセラー便り」を発行していました。そのお便りから、少しずつ紹介して行きたいと思います。

 

 今回のお便りは、「ジョハリの窓」という考え方をもとにしたお便りです。実は、20年ぐらい前に書いた物です。

 ジョハリの窓は、自分自身への気づきや意識を4種類にして考えていきます。「公開されている自己」(open self) 、「隠されている自己」(hidden self)、「自分は知らないが他人は知っている自己」(blind self)、「誰にも知られていない自己」(unknown self) の4種類です。自己開示を進めることによって、hidden self を小さくして、自己理解を進めることによって、blind self を小さくしていくことが良いことだという解説が多いように思います。それについては、その通りだと思うのですが、人付き合いが苦手な子どもたちにマイナスのメッセージを伝えかねないと感じて、ちょっと違う切り口からお便りを書いてみました。

 


 みなさんは、自分で自分自身のことをよく知っていますか? 人間というものは、意外と、自分自身のことについて知らない一面があるものです。また、すごく親しい友達(ともだち)にも知られていない 自分の一面があると思います。そんなふうに考えていくと、下のような4種類(しゅるい)の窓(まど)から自分の心をのぞいてみると、色々と面白いことを考えることができます。

 

 

「A:自分も友達(ともだち)も知っている自分」は、当たり前のことですね。例(たと)えば、「友達(ともだち)と 一緒(いっしょ)に帰った」とか「自分の家で友達(ともだち)と一緒(いっしょ)にゲームをした」になります。

 

「B:自分は知っているが、友達(ともだち)は知らない自分」は、色々なことがあると思います。例(たと)えば、「実はテレビより本を読むことが好(す)きだ」等といったことは、自分から友達(ともだち)に言わなければ、友達(ともだち)は知らないと思います。別(べつ)に秘密(ひみつ)にしているわけではないけど、友達(ともだち)は知らないことは、たくさんありますね。

 

「C:自分は知らないが、友達(ともだち)は知っている自分」はちょっと気持ち悪いでしょうか? 自分自身のことなのに、自分で知らないというのは、不思議(ふしぎ)な気もします。その上、友達(ともだち)は知っているということは、さらにナゾが深まります。でも、こんなことです。例(たと)えば、「すごく緊張(きんちょう)すると頭をかくクセがある」といったことは、自分では気づきにくいけど、周(まわ)りで見ている友達(ともだち)は気が付(つ)きやすいものです。

 

「D:自分も知らないし、友達(ともだち)も知らない自分」は、さらにもっと不思議(ふしぎ)ですね。自分自身の中に、自分も友達(ともだち)も誰(だれ)も知らない一面がある、というのはちょっと気持ちが悪い感じもします。Aの部分が心の中の光が当たっていて(自分や友達(ともだち)に)よく見えている部分だとすると、Dの部分は、光が当たっていなくて(誰(だれ)からも)よく見えていない部分です。これは「心の闇(やみ)」と呼(よ)ばれているような部分かもしれません。しかし、このDの部分は、単(たん)に不気味(ぶきみ)なものであったり、恐(おそ)ろしいものであったりするわけではありません。この部分が自分自身の成長(せいちょう)や変化(へんか)の源(みなもと)になる部分なのです。単純(たんじゅん)な例(れい)ですが、例(たと)えば「ピンチ の時に自分自身も他人にも思いもよらなかった力を発揮(はっき)する」とか、そんなことです。

 

 

成長するということ

 もし、人間にA(自分も友達(ともだち)も知っている自分)の部分しかないとしたらどうなるでしょうか? もう前から知っていることや既(すで)に分かっていることしか起きないと言えます。つまり自分という存在(そんざい)は、いつまでも前と同じ自分でしかないということになってしまいます。人間が成長(せいちょう)していくことはあり得(ありえ)ないと言えます。

 成長(せいちょう)するということは、今までの自分とは違(ちが)う自分が現(あらわ)れてくるということです。自分にも他の人にも、分からなかった面が現(あらわ)れてくるということです。つまり、D(自分も友達(ともだち)も知らない自分)の部分から、新しい自分の一面が現(あらわ)れてくるわけです。それは、Aの部分が広がっていくということでもあります。つまり、Dの部分にあった自分の一面が、Aの部分に移(うつ)っていくということです。

 

 実は、D(自分も友達(ともだち)も知らない自分)の部分は、それ以外(いがい)の部分(A・B・C)より、遙(はる)かに大きいと言われています。できると分かっていること(A・B・C)だけではなく、D(自分も友達(ともだち)も知らない自分)の部分の自分を信頼(しんらい)して、新しいことにいろいろ挑戦(ちょうせん)していくことが、人間を成長(せいちょう)させていくのです。