『となりのトトロ』と座間市の事件のつながり

 『となりのトトロ』と座間市の事件は、私の中ではつながっています。

 

 座間市の事件のニュースに触れ、被害者9人の方の顔写真を拝見し、大変ショックを受けました。15歳から20歳代という若い方ばかりで、私が直接に知っている方がいても全くおかしくないということを思い、事件が私のすぐそばで起きているということを実感させられました。

 被害者の名前や顔写真を報道することには、色々な意見があることだ思います。しかし私は、報道を通して、被害者ご本人やご家族がただの数字ではなく、血の通った人間として存在したのだということを強く実感することになりました。私が感じたことは、ひとり一人がかけがえのない存在であり、私のすぐ傍にいたかもしれないひとりの人間だということです。あらためて犯罪を許せないという気持ちを強く持ちましたし、犯罪を許してしまった社会のあり方も考えていかなくてはならないと感じました。

 報道が被害者やご家族をさらに傷つけてしまう可能性を持っていることを、忘れてはならないと思います。また、報道に対する私たち自身の姿勢や態度が、被害者や家族を傷つけてしまうことも忘れてはならないと思っています。報道に触れた人は単に「情報」として事件や被害者の方を知るのは被害者の尊厳をさらに傷つけてしまうことにつながると感じます。自分や社会のあり方を見つめ直すきっかけとして、報道を受け止めていくことが、最低限度の姿勢として求められていることではないかと思います。

 

 ところで、スクールカウンセラーが小中学校・高等学校で活動をはじめたのは、1995年です。その年から、私はスクールカウンセラーとして22年間活動してきました。全ての被害者の方は中学生や高校生の頃に、スクールカウンセラーがいる学校で学び生活をされてきたはずです。被害者の方たちは、私の勤務した学校の生徒だったかもしれないのです。そう思うと、気持ちの上でのショックもさらに大きく感じます。もちろんスクールカウンセラーが、全ての子どもの未来をサポートできないことはもともと分かっています。改めて、サポートの手が届かない子どもたちがいることを、まざまざと見せつけられたように感じます。

 

 実は、私たちに出来ることは何か、しなければならないことは何か、ということは既にわかっています。子ども自身や家族の責任にすることなく、危機にある子どもにサポートを届けることです。そのためには、知らなかった、気づかなかったではなく、まず、危機にある子どもたちに気づくことがスタートです。

 

 ところで、『となりのトトロ』の物語では、主人公のサツキは、実は危機に直面しています。こんなふうに書くと驚かれる方がいらっしゃるかもしれません。母親が死んでしまうかもしれないという不安に直面し、知らない土地に引っ越してくるという危機に直面しています。しかも、父親は子どもたちをしっかりサポートしてくれるわけではありません。例えば、妹のメイがトトロに出会った背景には、父親が4歳の子どもに昼食も与えず夕方まで放置していたことがあります。母親の死の不安に直面したメイが、勝手に病院へ向かったのも、大人に不安を打ち明けたり、気持ちをサポートしてもらっていないことが背景になっています。サツキは毎日の生活を、大人の代わりに切り盛りしています。子どもたちだけで父親をバス停まで迎えに行き、真っ暗になっても待ち続けています。こんなふうに、十分にサポートされていない家庭の中で、子どもたちは過ごしていたのです。子どもたちが持っている明るさや、生き抜く力は素晴らしいのですが、大人のサポートが十分に届いていないということに気づくべきだと思います。

 

 『となりのトトロ』の世界では、家庭のサポートが十分でなかったとしても、物語はハッピーエンドに向かっていきます。それは、「家庭のサポート」の外側に「地域のサポート」、さらに外側には(トトロなどの)「人間を超えた存在のサポート」があるからです。『となりのトトロ』の世界では、親のサポートが十分ではなくても、あるいは、親のサポートが十分ではないからこそ、子どもたちはのびのびと力を発揮して、幸せに育っていけるのです。

 

 現代の現実社会はどうでしょうか? 「家庭のサポート」の外側には、「地域のサポート」はあるでしょうか? 「地域のサポート」が届かなかった子どもたちをさらにその外側でサポートしてくれる存在はあるのでしょうか? 残念ながら、家庭のサポートのすぐ外側には、「人間の悪意」が潜む状況が多いと言わざるを得ません。

 

 『となりのトトロ』は、何度もテレビで放送されていますが、いつも高い視聴率を獲得しています。『となりのトトロ』の物語は、大人には癒やしを与え、子どもには勇気や安心を与えてくれる物語なのだと思います。私たち大人は、『となりのトトロ』の物語を見て癒やされるだけではなく、現代の現実社会の中で生きているサツキやメイたちに、サポートを届けなくてはならないのだと思います。

 

 

『となりのトトロ』については、こちらのページもお読みください

 

 

 

学校へ要望を伝えるコツ

はじめに

 発達凸凹のあるお子さんを育てていると、学校に対してお願いをしたり,要望を出したりすることも必要になると思います。でも、保護者の皆さんからは、「学校にはお願いをしにくい」という言葉も聞かれます。「クレーマーのように思われてしまうかもしれない」、とか、「うるさい親だと思われて子どもが損をしてしまうかもしれない」、などと心配する気持ちがあるように思います。そういった心配な気持ちは、お子さんのことを大切に思うからこそ生まれてくるわけで、ある意味、ごく自然なことなのだと思います。大切に思う気持ちが生かされるためにも、心配を上手く乗り越えたり、やり過ごしたりして上手に学校に要望を伝えていくことができたら、すばらしいと思います。

 

合理的配慮

 2016年4月1日に「障害者差別解消法」が施行され、学校でも「合理的配慮」を行うことが求められています。合理的配慮とは、「障害のある人が日常生活や社会生活を送る上で妨げとなる社会的障壁を取り除くために、状況に応じて行われる配慮。」です。例えば、「読み書きに困難がある子の場合、拡大教科書やタブレット、音声読み上げソフトを利用して勉強できるようにする。」というような方法があげられます。

 学校で求められる合理的配慮は、ちょっとした声かけからIT機器の活用まで、幅広いものが考えられます。基本的には、本人の特性に合わせて具体的な工夫や手立てを行うことで、さまざまな活動への参加や教科の学習を促すことをめざすものです。法律の施行から少し時間が経過して、発達凸凹のある子どもたちの保護者からの要望は、合理的配慮を求める要望として、学校側も受け止めていくように意識が変わりつつあります。

 合理的配慮という考え方をもとに、本人の特性に合わせて工夫や手立てを行うということは非常に良いことなのですが、ちょっとした落とし穴があるように思います。それは、具体的な方法に焦点が当たりすぎてしまうことです。

 

要望をめぐる保護者と学校のズレ

 例えば、聞くことと話すことには特に困難はないけれども、文字の読みに困難があって、書かれた文字を理解することが非常に不得意というお子さんがいらっしゃるとします。そういった場合、合理的配慮として、タブレットで音声読み上げソフトを活用して学習できるように学校に要望したいと保護者として考えることは、ごく自然なことかと思われます。しかし、このことを学校側に要望すると、学校としては大いに戸惑ってしまう可能性が高いように思います。それは、「方法」に焦点を当てた要望だからです。具体的な方法に焦点が当たっている場合には、その方法ができるか、できないかということばかりを考えてしまいがちになります。新たな方法を導入するとなると、学校側としては不安や抵抗を感じてしまうことも、ある意味自然なことだと考えられます。つまり、合理的配慮の具体的な方法を巡って保護者と学校の自然な思いは最初からズレてしまう状況におかれています。

 

要望の背景にあること

 では、どんなふうに学校に要望を伝えていったら良いのでしょうか? ここで、少したとえ話を使って考えて行きます。合理的配慮として具体的な方法を要望することは、遠足に行く時にまず交通手段から考えることに似ています。

 遠足に行くときには、まず、目的地を考えると思います。そして、その目的地に合わせて、交通手段を考えるはずです。しかも、実は目的地を考える前に分かっていることがあります。それは、スタート地点です。遠足の場合は、学校から出発するので、スタート地点は学校ですね。遠足の場合、ここはあまり考える必要はありません。つまり、目的地を考えてから、その目的地までの交通手段を考えることが自然なのです。

 学校に要望する場合にも、基本的には、同じです。「○○してほしい」という具体的な要望の背景には、スタート地点、つまり今の困り感やニーズと、目的地、つまりこうなってほしいという願いや目標があるのです。方法を考えるのは、その後になることが自然です。保護者としては、困り感やニーズも、こうなってほしいという願いや目標も、ごく日常的な事なので、改めてはっきりと認識しないのかもしれません。

 

まず、スタート地点(今の困り感やニーズ)を伝える

 以上のようなことから、学校に合理的配慮を要望する場合には、まずスタート地点(今の困り感やニーズ)をお伝えすることが第一歩です。ここでは本人の困り感やニーズを具体的に理解してもらうことが大切です。本人の具体的な言葉を学校に伝えていくと、学校側も自然に本人の困り感やニーズを理解することになると思います。

 音声読み上げソフトを使ってほしいという要望に戻って考えてみます。例えば、子ども本人が「読んでくれたのを聞いたら分かるんだけど、書いてあるのを見ても分からなくなっちゃうんだよ」と言っていたのであれば、その生の声を伝えることが大切です。そういう生の声は誰も否定することができないので、学校もある意味受け入れるしかありません。こういったことを通して、本人の困り感やニーズを共有してもらうことがまず第一歩となります。

 

次に、目的地(こうなってほしいという目標や願い)を伝える

 スタート地点(今の困り感やニーズ)を共通理解できた段階で、目的地(こうなってほしいという目標や願い)を伝えることが大切です。やはり、この段階でも本人の具体的な言葉を学校に伝えていくことが大切です。「教科書に書いてあることが分かって、問題をスラスラ解けるようになりたい」とか「国語の教科書が分かるようになって、国語も好きになりたい」などと本人の言葉を伝えることが大切だと思います。子どもの生の声は、強い説得力があるからです。どんな人もそれを否定することはできないものです。

 

最後に、交通手段(具体的な工夫や方法)を伝える

 困り感やニーズ、こうなってほしいという願いや目標を理解してもらうことができたら、あとは自然に進んで行きやすくなります。この段階では、子ども本人と保護者と学校は、同じ場所から同じ目標を目指して協力する仲間のようになっているからです。具体的な方法を学校に要望することも難しくないでしょう。この段階で、「タブレットで音声読み上げソフトを活用して学習できるようにしてほしい」と具体的な方法を要望してみるをお勧めします。

 実は、こういった手順を踏まえて要望してみると、具体的な方法について学校からOKが得られない場合でも、保護者の皆様がガッカリすることも少なくなるでしょう。子どもも保護者も学校も同じ目的地を目指しているわけですから、また、一つの交通手段がダメでも、また別の交通手段を考えれば良いのです。本来、大切なのは交通手段ではなく、目的地です。一番早く行ける交通手段が一番快適ではないこともあります。一番、快適な交通手段が一番楽しいとは言えないこともあります。飛行機には飛行機の良さ、鈍行の列車に鈍行列車良さがあるものです。交通手段にこだわって、目的地に近づけないことよりも、それぞれの交通手段の良さを体験しながら、目的地を目指せば良いのです。つまり、ひとつの方法がダメでも別の方法を考えて、その方法の良さを活かしていくことが大切なのです。それができるのは、スタート地点と目的地を共有しているからこそなのです。

 

まとめ

 学校へ要望を伝えるには、まず、現在の困り感やニーズを本人の言葉を使って伝えることが大切です。その上で、こうなってほしいという願いや目標を、本人の言葉を使って伝えます。それら2つが共通理解できた最後の段階で、具体的な方法について要望していくことが大切です。

 

 

 

 

 

LINEを使った相談活動

スマホのチャットで相談活動
スマホのチャットで相談活動

LINEを使った相談活動にたくさんの相談がよせられたそうです。朝日新聞の10月12日の記事で報道されていました。「長野県教育委員会が9月、通信アプリ「LINE」を使って中高生の悩み相談を受け付けたところ、2週間で1579件のアクセスがあり、このうち547件の相談に乗れたことが分かった。県教委が10日、発表した。2016年度の1年間に電話で寄せられた相談は計259件で、LINEの方がはるかに多かった。県教委は「気軽に相談できる効果が大きい」とみて本格導入を検討する。」私は新聞報道以上の情報は知らないのですが、本当に意味のある試みだと思いました。

 私自身も、SNSやチャットを使った相談には、非常に期待しています。相談しやすい仕組みとしても意味があると思いますし、それだけではなく、相談の質を向上させることも期待できると思います。

 例えば、複数で相談を受けることは、チャットの場合は簡単なことだと思います。相談員が2名で組んで、横に並んで打ち合わせしながら、子どもの相談に応えたらどうでしょうか? きっと、相談員がひとりでチャットの相談に応えるよりもずっと良い相談活動をできると思います。

 実際のカウンセリングでも、家族療法にルーツを持つアプローチでは、カウンセリングルームにマイクとワンウェイミラーがあって、隣の部屋からカウンセリングの様子を数人のスタッフがチーム(リフレクティングチーム)として観察して、それを相談に活かすという方法があります。カウンセラーが休み時間を取って、リフレクティングチームに意見を聞きにいったり、リフレクティングチームからインターホンでカウンセラーに指示が来たりします。もちろん、この設定は来談者(クライエント)に説明した上で了解をもらって活動しています。SNSでの相談は、それを特別な施設を準備しなくても実現することができるのです。

 

 また、相談員が複数でひとりの相談チャットに応じるだけではなく、同時にAIがチャットに参加していて相談を行ったらどうでしょうか? 例えば、相談員2名、AI1名(?)での計3名で相談を受けるのです。AIが応えることは、人間には出せない反応やAIだから許される反応をすることが期待できると思います。万一AIが良くない反応をしたとしても、人間の相談員がそれをフォローすることができます。このチームは非常に意味のある支援をできるのではないかと期待してしまいます。余談ですが、AIカウンセリングについては、以前にブログ記事を書きましたが、可能性があると私は思っています。まだ実用性はないと思いますが人間と組めば良い働きをすると思います。

 

 また、もしできればチャットをしながら話をしても良いと相談者が感じたら、音声通話での相談にそのまま移行できる仕組みを導入してはどうでしょうか? 始めから音声通話で相談する仕組みよりも、相談者の抵抗が少ないのではないかと思います。相談者の画面に電話のアイコンがあって、それをタップするとそのまま今チャットで相談している相手と音声で話ができるようにするのです。相談員のうちの1名が話をして、もうひとりが相談者と相談員の話を聞きながらチャットで参加するというスタイルも面白いかもしれません。

 音声通話での相談に移行できるようにするのは、文字でやりとりするよりも、声でやりとりすることが相談者にとってプラスになることが多いと考えられるからです。一つは自分で声を出すということが、自分の心が自然に動いていくことにつながるからです。いわゆるカタルシス効果して言われていることですが、文字を書くよりも、声を出す方がその効果が働くと考えられます。文字を書くよりも、声を出す方が、より原始的な活動ですので、生き物として元々持っている自然治癒力が働くきっかけとなると考えられます。また、文字で働きかけられるよりも声で働きかけられる方が、サポートされているという感覚を生じさせやすいと思われます。だからこそ、チャットから音声通話に切り替えられる仕組みを導入するべきだと思います。チャット相談という抵抗の少ない入り口から、音声通話という効果の高い方法へスムーズに移行できるすばらしい仕組みになると思います。

 

 SNSやチャットを使った相談活動は、始まったばかりですので、これからの発展が大いに期待できると思います。関係者の方にはぜひ、子どもたちの利益のために、力や知恵を集めて活動を発展させていってほしいと思っています。

 

 

スクールカウンセラーの役割(ドラマ「明日の約束」から)

井上真央さんがスクールカウンセラー役でフジテレビのドラマ「明日の約束」に主演するということで、話題になっています。

 

「フジテレビのサイトを見てみると、次のような説明が書かれています。

 

主人公の藍沢日向(あいざわひなた)は、高校のスクールカウンセラー。「親でもない、教師でもない、最後に味方になってあげられる大人」として、学校や家庭の問題に悩む生徒の心のケアに生活をささげる。

 

主人公がスクールカウンセラーのドラマですから、個人的には大注目です。面白いドラマになってほしいなぁと思います。

 

先ほどのドラマの説明ですが、これが一般的なスクールカウンセラーへのイメージなのだろうと思います。どうしても、気になることがあるので、指摘しておきます。

 

「親でも、教師でもない、最後に味方になってあげられる大人」がスクールカウンセラーということですが、これは正しいようでいて誤解を招く表現だと思います。

 

味方がいないと思っている子どもがいたときに最初に味方になるのがスクールカウンセラーです。そして、その子どもの心が癒やされてきたり、元気になってきたりすることを通して、そして、周囲の人々との関係をスクールカウンセラーが支えつつその子どもが開いていくことを通して、少しずつ味方(だとその子が思える人)が増えていくのです。そして、最後にはスクールカウンセラーという存在はその子どもの中から自然に小さくなって消えてしまうのが理想です。

 

また、その「明日の約束」では、ある男子生徒の死が重要な焦点となっているようです。「不可解な死を遂げてしまう」「はたして、誰が彼をしなせたのか・・・。」と書かれています。「だれが死なせたのか」という表現は、「殺した」とは違って自殺したという含みがあります。自殺という点で少し気になることがあります。

 

実は、日本では子どもの自殺が多いのです。大人の自殺は減少してきたのですが、ここ数年子どもの自殺は高止まりが続いています。子どもの自殺は、大人の自殺と少し違った特徴があります。マスコミなどの情報の影響を受けやすいこと、大人に比べて短期間で自殺に追い込まれてしまいがちなこと等々です。自殺がセンセーショナルに取り上げられて報道されることによって、影響を受けた自殺が続いてしまう(群発自殺)ことが知られています。ドラマは、報道ではないのですが、自殺の取り上げ方によっては、子どもの自殺を助長することになる危険性があります。

 

どのように自殺を扱えば良いのかについては、「WHO 自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)」というものが出されています。それには、いくつかポイントがまとめられています。

  • 自殺をセンセーショナルに扱わない
  • 当然の行為のように扱わない
  • 問題解決法の一つであるかのように扱わない
  • どこに支援を求めることができるのかということについて情報を提供する

などが挙げられています。

 

ドラマであっても、こういった手引きを参考にして自殺の防止につながるような作品を作っていただきたいなぁと思っています。ドラマが子どもたちの命や人生をより素晴らしいものにして行く一助になるように願っています。

 

千と千尋の神隠しの秘密

 「千と千尋の神隠し」は、2001年に公開された宮崎駿監督の映画です。大ヒットとなり、日本歴代興行収入第1位を達成したそうです。ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞したり、アカデミー賞の長編アニメ映画賞を受賞したり、と大きな話題となりました。

 

 この映画では、アイデンティティが一つの重要なテーマになっています。自分らしく生きることとは、何かを問いかけているように感じられます。

 

 この映画は、引っ越しのために車で移動するシーンから始まります。実は、引っ越しのために車で移動するシーンから始まるというのは、「となりのトトロ」とまったく同じ始まり方なのですが、様々な点で「となりのトトロ」とは正反対の特徴を持っています。例えば、千尋ととなりのトトロのサツキは同じ年齢だと思われますが、正反対の性格です。引っ越しのシーンでの二人の登場した場面の様子は全くの正反対です。サツキは、明るくて優しい良い子なのですが、千尋は、母親や父親にいちいち反発して、ふてくされてどんよりしています。実は、知らない土地に引っ越さざるを得ない状況を考えると千尋のような様子こそが、ごく自然な様子ではないかと思われます。その自然な姿の中に、千尋の持つ力が隠されているように思います。 

 ところで、アイデンティティという言葉があります。「千と千尋」のテーマの一つは、このアイデンティティだと思われます。「自己同一性」と訳されることが多いのですが、最近ではカタカナでアイデンティティと表記されることが多いように思います。「自分自身はこんな人間だ」という感覚をもっていることです。

 アイデンティティは、自分の中に持つ感覚なのですが、自分ひとりでは、しっかりとしたアイデンティティを作っていくことはできません。人とのかかわりの中で少しずつ育っていくものです。

 千尋は、アイデンティティの危機に見舞われながら、色々な人の支えや自分の力でアイデンティティを回復していくのです。

 

 千尋が湯婆婆と契約するシーンはテーマとかかわる特に重要なシーンの一つです。千尋は、ハクに勧められて、湯婆婆のところへ行き、「ここで仕事をさせて下さい」と頼みます。ハクにいわれたとおり、「仕事をしたい」とだけ繰り返し言い続け、根負けした湯婆婆が契約に応じます。そして、湯婆婆は千尋に契約書をわたして、サインするようにいうのです。千尋がその契約書に自分の名前を書き込むと、書いた文字が浮かび上がって、自分の名前を湯婆婆に魔法の力で奪われてしまいます。契約書に書いた文字が、湯婆婆の魔法で浮かび上がっていくシーンはCMなどでも使われ、目にしたこともある人は多いと思います。

 

 このシーンには、「千尋」という名前が奪われ、「千」つまり「1000」という番号で呼ばれるようになってしまったという象徴的な意味合いが含まれています。つまり、ただ呼び名が変わったということではなく、人格が奪われてしまったということなのです。収容所などに囚われている人が、名前ではなく番号で呼ばれている場面を映画などで何度か見かけます。それと同じで、個人としての人格を奪われてしまっているのです。作品のテーマとも関わりのある非常に大切なシーンだと言えます。

 

 しかし、このシーンには、重要な秘密が隠されています。それは、千尋が契約書に書いた自分の名前の文字が間違っているということです。千尋は「荻野」という名字です。しかし、千尋は湯婆場との契約書には「荻野」とは書いていないのです。千尋が書いた文字は「荻」という文字の「火」の部分が「犬」になっている文字なのです。

 

 文字の間違いは誰にでもあることですが、自分の名前の文字を書き間違えることはまずありえません。そう考えると、物語の中では、千尋は書き間違えたのではなく、わざと違う文字を書いたと考えるのが自然でしょう。おそらく千尋はとっさの判断で、本当の名前を書かず、嘘の名前を契約書に書き込んだのでしょう。湯婆婆はたくさんの仕事に追われて、他のことに気を取られて、名字の文字が間違っていることに、気づいていないようです。湯婆婆は、千尋の名前を奪ったと思い込んでいたと思われます。千尋は、本当の名前を隠しておくことに成功したのだと言えるでしょう。

 

 そして、名前を隠しておくことに成功したことが、千尋が自分自身や自分自身と人との関係を回復することにつながってきます。もう一つの大きな謎が物語の終盤にあります。それは、千尋が10頭の豚の中から自分の両親を見つけるように湯婆婆から言われるシーンです。千尋は見事に湯婆婆の魔法を見抜くのですが、なぜ千尋が湯婆婆の魔法を見抜いたのかは、映画の中では描かれていません。これも物語の謎の1つです。しかし、この謎をとくのは簡単なことです。千尋の名字の文字を間違って書いたことが、魔法を見抜けた理由だと思われます。名字は、英語では"family name"です。つまり、家族の名前なのです。千尋は、湯婆婆との契約書に嘘の名字を書いて、家族の名前を隠し、家族のつながりを保っておくことができたのです。そのため、最後のシーンでの魔法を見抜くことができたのだと思われます。

 

 望まない引っ越しで今までの人間関係を奪われ、魔法によって名前と人格を奪われるという危機を乗り切ったのは、千尋自身のちょっとした機転でした。素直で良い子とは決して言えない千尋だからこそ、自分自身を守ることができたのかもしれません。もちろん、ハクなどの色々な人の助けがあったから千尋はなんとか湯婆婆の世界で生き抜いていくことができたのですが、その話は、また別の記事で書きたいと思います。

 

 

LINEでいじめ相談

ネットニュースを見ていると、「「LINE」でいじめ相談に応じるサービスが開始 - 滋賀県大津市で」(http://news.mynavi.jp/news/2017/08/07/163/)とのニュースを見かけました。

こういう取り組みはやってみると良いと思います。やってみながら改善して、子どもたちが相談しやすい環境を作っていくことが大切ですね。試験的な取り組みでモデル校数校が対象のようですが、広がっていくと良いですね。

 

モデル校の生徒へは、相談用LINEアカウントを友だち登録するために必要な「QRコード」が入ったチラシなどを配布。」とのことです。お店とかがよく、友だち登録したらスタンプ無料などというキャンペーンやっていますが、可愛いラインスタンプがもらえると、登録が進むと思うんですが、いかがでしょう。

 

ところで、LINEなんかは、相談窓口だけじゃなくて、企業としてもっといじめ防止に取り組んでほしいと思います。例えば、AIの活用です。LINEのグループチャットには、AIがかかわるようにして、いじめと思われるような書き込みが生じたときには、AIらしい、ちょっととぼけたツッコミなどをして、場を和ませつつ、チャットのメンバーにやりすぎかなと自分で気づくチャンスを与えるような、機能を付けたら良いと思います。

 

自然言語をAIとして認識してコミュニケーションを取るというのは、今一番ホットな研究テーマのようです。研究者も、LINEと協力して、いじめを予防するグループチャットAIの開発とか、科研費ももらえそうですが、いかがですか?

 

 

 

 

 

AIカウンセリング

6月25日に放送されたNHKスペシャル「人工知能 天使か悪魔か 2017」を見ました。

本当に面白かったです。

人工知能が、大きく人間社会を変えていく可能性が示されていました。

AIを恐れるのではなく、人間が上手くAIを使っていくことを考えて行けば良いのだということがはっきり示されていました。

 

 AIが人間に取って代わるのではないか、という不安はもっともなことだと思います。しかし、AIは人間のすばらしさを際立たせてくれる存在になると感じました。

 

 番組では、将棋界の最高位・佐藤天彦名人と将棋AIポナンザの対戦を詳しく紹介していました。私には、将棋AIのポナンザの強さは、取り立てて驚くことではないように感じられました。コンピューターのハードウェアも進歩していますし、AIに取り込まれているデータの量も恐ろしい量です。人間よりも強いのは当然の帰結です。自動車が人間よりも速く走るということと同じことだと思います。将棋AIのポナンザと向き合う佐藤天彦名人の姿勢には大変感銘を受けました。

 

さて、ブログタイトルのAIカウンセリングですが、まだ実用化されていないと思います。AIカウンセリングも、そのうち実用化されてくるのではないかと、私は期待しています。AIとやりとりをして、クライエント(相談に来た人)の心が癒やされるのだろうか? という疑問をもつ人も多いようです。私は、AIのカウンセリングも人の心を癒やすことが十分できると考えています。なぜなら、カウンセリングでは、カウンセラーがクライエントの心を癒やすのではないからです。クライエント自身が自分の心を癒やすのです。カウンセラーは、クライエントがもともと持っている自分で癒えていく力が自然に働いていけるように手助けしているに過ぎません。

 

 AIカウンセリングで、心が癒えていくということは、カウンセラーがすごいのではなく、クライエント自身の心に力があるということをはっきりさせてくれるように思います。

 

 AIカウンセリングが身近な存在になる日を楽しみにしています。

ティーンズバリバラが面白かった

NHKのEテレで5月28日(日)夜7:00から、「ティーンズバリバラ ~発達障害の悩み~」が放送されていました。

 

スタジオに、発達障害のある中高生8人が集まって、色々とお話をしてくれていました。ひとり一人、個性があって、それぞれの人に「魅力的だなぁ~」と感じました。でも、多分、彼ら彼女たちは、今はかなり色々と苦労したり辛い思いをしたりしているのだろうなぁと、想像しました。そういった苦労などは、本当は、決してマイナスにはならず、プラスになっていくのだと思います。でも、中学生や高校生の頃には、なかなか先の見通しが持てないので、余計に苦労したり苦しい思いをしたりしているかもしれません。身近な人が、彼ら彼女たちを理解してくれて、そっと支えてくれたらどんなにか良いだろうと思います。

 

そういうなかで、笹森理絵さんが良い役割を果たしていました。笹森さんは、発達障害の当事者でNHKのハートネットにも度々登場していた方です。番組では「発達障害の先輩」として紹介されていました。笹森さんのコメントが暖かくて素敵でした。

再放送が6月2日(金)0:00(木曜深夜)にあるようです。ぜひ、見て下さい。

 

番組のホームページはこちらから

 

 

瞬間最高1位

今年の1月10日にほんの森出版から発行させていただいた「一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー」が、アマゾンのカウンセリング(学校教育)カテゴリーでなんと、1位になっていました(4月24日午前中)。その記念に画面をキャプチャしました。色んな人が本を購入してくれているんだなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。レビューにもすごく良いレビューを書いていただいていて感激しています。

 

 

一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
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カンタにはトトロが見えるのでしょうか?

 「となりのトトロ」の登場人物の中で、トトロが見えるのは、多分メイとサツキだけです。カンタのおばあちゃんが小さい頃には見えたのかもしれません。カンタのおばあちゃんは、ススワタリに驚いているサツキに対して「そりゃあ、ススワタリだな。ばあちゃんにも小さな頃は見えたんだけんど」と言っています。昔は見えたのかもしれませんが、今はおばあちゃんには見えないようです。

 実はサツキにもトトロは見えたり見えなかったりするようです。お風呂のお湯をわかすために薪を庭先に取りに行くシーンでは、突風が巻き起こって、薪を空中へ舞あげてしまいます。後から考えるとこの場面では、トトロが地面近くの空を飛びながら、急上昇して木のてっぺんの所にとまったのではないかと想像されます。この場面はサツキを中心に描かれていますが、サツキにはここではトトロが見えていないのでしょう。

 ところで、カンタは、サツキと同級生ですが、多分、カンタにはトトロは見えないのです。この物語の秘密は、なぜサツキにトトロが見えて、カンタにはトトロが見えないのかというところにあります。

 カンタにはトトロが見えないということを入り口に子どものサポートについて考えてみます。

 

メイが学校へ来た日

 ある日、サツキが学校で勉強をしていると、カンタのおばあちゃんが学校へメイを連れてやってきました。メイはお姉ちゃんのサツキがいなくてさびしくなって、近所のカンタのおばあちゃんにわがままを言って学校まで連れてきてもらったようです。担任の先生は快くメイを教室に受け入れてくれて、メイはサツキの教室で一緒に机を並べて座り、お絵描きをして楽しく過ごしたようです。

 その帰りのことです。サツキとメイは一緒に学校から帰っていたのですが、途中で雨が降り出してしまいました。サツキとメイは、傘を持っていなかったために、雨の中を濡れて家に向かっていました。でも、あっという間に本降りになってしまい、2人はお地蔵さんのお堂で雨宿りをすることにしました。ちょうどそこに、傘をさしたカンタが通りかかります。カンタは、少し迷ったようですが、「ん!」と言ってサツキに自分のさしていた傘をつきだして、半ば無理矢理にサツキに傘を貸してくれました。そして、自分は傘をささないで、雨の中を走って行ってしまったのです。サツキに意地悪を言っていたカンタがつっけんどんに傘を貸してくれる様子が大変微笑ましく感じられるシーンです。

 

カンタはなぜ傘を持っていたのでしょうか?

 でも、なぜカンタは傘を持っていて、サツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタは、いわゆるやんちゃ坊主という雰囲気です。朝学校に行くときに、今日の天気を気にして傘を持っていくようなタイプには見えません。しかも、この日の朝は晴天でした。それにもかかわらず、なぜかカンタは傘を持っていたのです。なぜなのでしょう?

 実は、理由は極めて単純です。母親がカン太に傘を持って行かせたのでしょう。では反対に、なぜ、サツキは朝に傘を持って登校しなかったのでしょうか? この2人の違いを考えていくことは、子どもをサポートすることを考えていくことにつながってきます。

 

 ところで、カンタとサツキのおかれている状況は、見事な対比で描かれています。実は、カンタが持っている傘は、穴だらけのぼろぼろの傘です。そのため、傘をさしたところで、雨でずぶ濡れになってしまうように思われます。一方、サツキはこの場面では傘は持ってきていないのですが、家にはきちんとした、子ども用の赤い傘があるようです(この後のシーンで出てきます)。

 

 ここで、先ほどの疑問をもう一度考えてみて下さい、なぜ、ちゃんとした傘があるのに、このシーンではサツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタと正反対ですが、理由はやはり簡単です。サツキには、傘を持って登校するように言ってくれる人が誰もいなかったのです。サツキの母親は、病気で入院しています。父親も、遠くの仕事場まで朝早くに出かけてしまうのです。朝、登校するときには、サツキはメイを連れてひとりで家を出てきたのです。きちんとした物はあっても、サツキを気遣ってくれる大人のサポートが身近になかったのです。一方、カンタには、ボロ傘しかありませんが、気遣って持っていくように言ってくれる母親が身近にいたのです。

 

 みんなが傘をさして下校している様子を見て、サツキは、自分ひとりが傘を持っていないことにがっかりした気持ちになったかも知れません。必要な物を自分だけ持っていない状況は、自分ひとりだけ取り残されてような気持ちになるものです。サツキの心にはさびしい気持ちが押し寄せてきたかも知れません。

 

サポートの本質

 この2人の対比は、サポートの本質を明確に示してくれます。完璧なものが用意されていることがサポートの本質ではないのです。ボロ傘であっても持って行くようにいってくれる母親の気持ちがサポートなのです。つまり、サポート自体は不完全ではあっても相手のニーズに気づきそれをサポートしようという人間の意図が、サポートの本質なのです。

 「となりのトトロ」はこんなちょっとしたシーンにも、深い意味合いが隠されているように感じます。子どもも大人も、みんなが「となりのトトロ」を大好きなのは、知らず知らずのうちに、物語の中から深い意味合いを感じ取っているからだと思います。

 ところで、雨宿りをしているサツキたちを見かけたカンタは、ボロ傘を強引に貸してくれます。カンタがサツキのさびしい気持ちを深く感じ取ったのかどうかは、よくわかりません。困っていることは分かってくれたのでしょう。しかし、サツキとメイの2人で、カンタのボロ傘をさして家に帰っても、たぶんずぶ濡れになってしまうでしょう。雨に濡れるか濡れないかだけで考えれば、カンタの行動は全く意味がありません。そのことよりも、困っていることに気づき、助けてくれたカンタの気持ちそのものが大切なのです。カンタの優しさは、きっとサツキをしっかりとサポートしてくれたのだと思います。

 

サツキへのサポート

 こんなふうに、カンタは家庭でしっかりとサポートされていて、元気いっぱいに育っているのです。一方のサツキは、母親が入院しています。父親は優しい人ではあっても、なんだか頼りないかんじです。サツキは、家庭でしっかりとサポートされていないのです。しかし、家庭でのサポートが十分ではない所は、地域のサポートが補ってくれています。カンタのおばあちゃんが色々と面倒を見てくれたり、メイを預かってくれたり、学校でもメイを教室に入れて一緒に勉強させてくれたりという感じです。地域でサツキやメイをサポートしてくれています。

 しかし、地域のサポートも十分ではありません。父親をバス停まで迎えに行った時には、なかなか父親が帰ってきませんでした。そして、暗い夜道で小学校4年生のサツキと4歳のメイという姉妹が長い間父親を待つことになってしまったのです。ここでは、地域の人は誰も助けてはくれません。そんなときに、現れて姉妹を不安からサポートしてくれたのがトトロであり猫バスです。トトロと猫バスは地域のサポートが届かない場面で、子どもたちをしっかりと支えてくれたのです。トトロは、大クスの木の精で森の守り神というような存在ですから、人間を超えた自然のサポートと理解することができるでしょう。

 サツキに大人のサポートが届いていなかったとき、心が不安と緊張でいっぱいになってしまったときに、トトロが現れているのです。

 他にも、母親の病気という不安に直面したメイが勝手に病院まで出かけてしまって、迷子になってしまったときにもトトロが現れてサツキを助けてくれます。カンタやカンタのおばあちゃんや地域の人が総出で、メイの行方を捜しますが、見つかりません。ここでもやはり、トトロと猫バスがサツキとメイをサポートしてくれるのです。

 

 こんなふうに考えると、「となりのトトロ」の世界では、子どもたちが3重にサポートされていると考えることができます。一番内側のサポートは「家庭のサポート」で、その外側にあるのは「地域のサポート」、一番外側にあるのは「人間を超えた存在のサポート」という形で3重にサポートされています。

 

カンタへのサポート

 ところでカンタへのサポートはどうでしょうか?カンタは、上に書いたように、家庭でしっかりとサポートされています。そして、物語では描かれていませんが、多分、地域でもサポートされているでしょう。そして、本家ともそれなりのつながりがあって、電話を借りたりはできるようですし、本家のおばあちゃんからも優しい言葉をかけられています。つまり、カンタは、家庭と地域でしっかりとサポートされているのです。カンタには、人間を超えた存在のサポートは必要がないのです。多分、カンタはトトロとは出会うことなく、大人になっていくのでしょう。寂しいことかもしれませんが、幸せなことです。

 

ハッピーエンドに

 となりのトトロのお話しは、エンディング曲が流れる背景で、母親が帰宅してくる様子が描かれています。そしてサツキやメイは、元気いっぱいに他の子どもたちに入り交じって遊んでいる様子が描かれています。トトロは、雪だるまのモチーフとして、かろうじて存在をとどめています。母親の病気が治って、子どもたちは、家庭と地域でしっかりとサポートされ、トトロの出番はなくなりハッピーエンドでお話しは終わります。

 

現代のサツキは?

 ところで、現代のサツキはちゃんとハッピーエンドを迎えることができているのでしょうか? 様々な理由で家庭のサポートが十分ではない子どもたちも、しっかりと地域でサポートされているのでしょうか? しかも、本当に残念なことに現代の社会には、多分、トトロも猫バスもいないのです。家庭でも地域でもサポートされていない子どもたちには、現代の現実社会では、人間を超えた存在のサポートは届いていないでしょう。サツキのとなりにはトトロがいてくれたのですが、現代のサツキたちのとなりにはどのような存在がいて、きちんとサポートしてくれているのでしょうか?

 

 となりのトトロを見て何かを感じ取った私たちは、トトロの代わりに現代のサツキをサポートすることが求められています。

 

サツキとメイの家(となりのトトロ)
サツキとメイの家(となりのトトロ)

「となりのトトロ」サツキは頑張り屋さんなんだけど、本当は・・・

となりのトトロ」の色々なシーンを取り上げながら、主人公のサツキについて、考えてみたいと思います。一見、サツキは元気で明るいよい子なのですが、詳しくみていくと、色んな面が見えてきます。

 

頑張り屋のサツキ

 サツキは、母親代わりになって、家族を支える頑張りやさんです。たとえば、父親が寝坊をしてすっかり寝過ごしてしまっても、サツキはメイに手伝わせながら朝食の準備を整えています。父親はメイに起こされてやっと起きます。そしてサツキが朝食を作っているのを見て「すまん、また寝過ごした。」と謝っています。「また寝過ごした」、と言っているところから、父親が寝過ごしてサツキが朝食を作ったのは今回だけではないことが分かります。しかも、サツキは、朝食だけではなく、お昼のお弁当まで作ります。サツキは「今日から私お弁当よ」「みんなのも作るね」とさわやかに言い、自分のお弁当だけではなく、父親とメイのお弁当まで作ってしまいます。メイはサツキにお弁当を作ってもらって、飛び上がって喜びます。そして、作ってもらった自分のお弁当を見つめながらうっとりとため息をつきます。メイは、本当にうれしそうに見えます。

 サツキは、家族みんなのことを考えて、細かく気配りをしているのです。その上に、こういった朝食とお弁当の準備という非常に忙しいさなかに、起こされてからやっと起きてきた父親に対して、文句一つ言わないのです。終始、元気で明るさがいっぱいです。サツキはすごく頑張っていて、非の打ち所がないような、よい子に思えます。

 また、サツキは父親のことも心配し、世話を焼きます。父親が傘を持たずに仕事に出かけてしまったときには、サツキはそれに気づいて、バス停まで父親の傘を持って迎えに行きます。しかし、父親が帰ってくるはずのバスには父親は乗っておらず、サツキはメイと一緒にバス停で待ち続けます。そのうちに、すっかり日は暮れてしまい、真っ暗な中に街灯の明かりだけが光っています。しかも、メイは疲れて、サツキの側で立ったままうとうとし始めます。サツキは仕方なく、メイを背負ってそのままバスを待ち続けるのです。メイはサツキに甘えることができたのですが、サツキは誰にも支えてもらうことができません。サツキ自身も、非常に心細い気持ちになっているはずですが、そのバス停で待ち続けるのです。サツキは本当に頑張っているのです。

 他にも、サツキは家族以外との連絡もきちんとこなします。サツキたちがカン太のおばあちゃんと一緒に畑で野菜の収穫をしているときに、電報が配達されて来ます。それは母親が入院している病院からのもので、連絡を求める内容です。カン太のおばあちゃんは、本家に行って電話を借りるように促します。サツキは、カン太の家の本家で電話を借りて、父親の研究室まで電話を掛けるのです。

 今では電話はごく日常的で手軽な道具ですが、サツキの時代には、特別なものだったと思われます。手軽さは全くありません。カン太がついてきてくれているとはいえ、見知らぬ家で電話を借りることは、簡単なことではないでしょう。しかも、電話はプッシュ式でもダイヤル式でもありません。交換手に掛ける先を伝えなくてはならないのです。サツキは、「市外をお願いします。」「東京の31局の1382番です。」と交換手に父親の大学の研究室の番号をきちんと伝えます。そして、電話がつながると「もしもし、考古学教室ですか? 父を、あの草壁をお願いします。」ときちんと話します。電話を掛けているときのサツキは、不安を強く抱えていて、しかも、それを一生懸命抑えているように見えます。母親の病気への不安に直面しながら、きちんと連絡をつけるということは、なかなかの仕事です。それを、サツキはしっかりとこなしています。ただ、10歳の子どもの果たす役割ではなく、家族に大人がいれば、その大人が果たす役割だと考えられます。やはり、サツキは相当な頑張りぶりなのです。

 

自分のことは後回しにするサツキ

 引っ越してきて何日かたって、サツキとメイ、そして父親の3人で、母親のところにお見舞いに行きます。大部屋の病室の扉をサツキとメイが開けて中へ入っていきます。サツキは最初に「こんにちは」と入り口近くの人にきちんと挨拶をします。そして、きちんと入ってきた扉を閉めます。サツキは、周囲の人への心配りがきちんとできているのです。

 一方、メイは母親のベッドまで、タタタタっと小走りに駆け寄ります。そして、「お母さん!!」とベッドの上の母親に飛びつくのです。メイは自分の気持ちだけで動いているようです。サツキとメイは非常に対称的です。

 そして、サツキは「今日、田植え休みなの」とやっと母親に向けて声を発します。その日が田植え休みだということはサツキにはもちろん分かっていることです。おそらくメイにも分かっていることでしょう。そのことを知らない母親のために、サツキは説明したのです。サツキは入院している母親に久しぶりにあったわけです。だから、会えてうれしい気持ちや病気についての心配など、いろんな気持ちをいっぱいに抱えているはずです。しかし、サツキは自分自身の思いは脇の方へどけておいて、母親が疑問に思いそうなことに目を向け、そのことについて優先して説明しているのです。

 その後、サツキは、母親に耳打ちをしてこっそり何かを伝えます。ところで、誰に聞かれないようにしているのでしょうか? その言葉以外は普通にしゃべっていますから、同じ病室の人に迷惑を掛けないよう気を遣って耳打ちをしているのではないと思われます。そうすると、サツキと母親以外にはメイしかいません。サツキは、メイに聞かれないように母親に耳打ちをしているのです。

 耳打ちを聞いて、母親は少し驚いて「えっ! お化け屋敷!?」と言います。うれしそうな表情にも見えます。メイが「お化け屋敷好き?」と聞くと、母親は「もちろん。早く退院してお化けに会いたいわ。」と言うのです。そして、サツキが「よかったね、メイ。」とメイを気遣います。こういったやりとりから考えると、サツキは「お家がボロで、お化けが住んでるお化け屋敷みたいなの。メイはお母さんがお化け屋敷は嫌じゃないかって心配しているの。」などと、メイの心配をこっそりと母親に伝えたのではないかと想像されます。サツキは、メイの心配を解消し、メイと母親の関係をつなごうと心を砕いているようです。

 もちろんサツキも少しはメイと同じように、母親が新しい家を気に入ってくれるかどうかは心配しているでしょう。メイの心配はサツキの心配でもあるはずです。しかし、サツキはそれを自分の心配として母親にストレートに打ち明けることをしていません。サツキは自分のことは二の次にして、他の家族のことを優先させているのです。

 結局、サツキは母親に自分のことや自分の気持ちを何一つ言っていません。自分以外の人のことを優先させて、自分のことは二の次にしているのです。

 

気持ちをぶつけるサツキ

 今まで見てきたように、サツキは頑張りやでよい子です。自分のことは後回しにして、他の人のことに気を配るのです。しかし、サツキもごく普通の人間ですし、小学4年生の子どもです。怒ったり、泣いたりすることもあるのが自然です。

 サツキが、一番に気持ちをぶつけているのは、妹のメイです。母親を見舞いに行ったときに、メイは「お姉ちゃんすぐ怒るの。」と母親に言っています。サツキはメイを叱ったり、怒ったりすることも多いようです。

 例えば、メイが初めてトトロに出会った後に、サツキと父親がメイを探す場面です。サツキがメイの帽子を見つけて、そばにあった木の小さなトンネルに入っていきます。その奥は少し広くなっていて、そこにメイは横たわっています。サツキがメイに何度も呼びかけたり揺すったりすると、メイは「ンー」と声を出します。どうやらメイはぐっすり眠っているのです。サツキは少しホッとしたようですが、次の瞬間メイに向かって「メイ!! こら!! 起きろ!!」と大声で言います。やっと目を覚ましたメイに向かって、サツキは「こんなところで寝てちゃだめでしょ!!」と怒るのです。冷静に考えると、この場合、怒られるのは、父親のはずです。4歳の子どもに昼食も食べさせないで、ほったらかしにしておいたのですから。その父親は、やっとトンネルをくぐって、その後少ししてそこに現れます。でも、サツキは父親には怒ったりしないのです。

 また、サツキが自分の感情を爆発させるのもメイに対してです。母親の入院している病院から電報があり、サツキが父親と連絡を取って、母親の一時帰宅が延期されると分かります。その後、サツキがメイに「お母さん、体の具合が悪いんだって。だから今度帰ってくるの、のばすって。」と説明します。しかし、メイは「やだーっ!!」と聞き分けがありません。サツキが、重ねて言って聞かせますが、メイは「やだーっ!!」の一点張りです。ついにサツキは感情を爆発させ「メイのバカ!!」「もう知らないっ!!」と叫び、メイをほったらかしにして一人で行ってしまいます。

 カン太に対してもサツキは自分の感情をはっきりとぶつけています。上に書いたメイに感情をぶつける場面にはカン太が居合わせています。この場面はカン太に直接に感情をぶつけたわけではないのですが、感情的な自分をカン太の前ではっきりと見せています。

 他にも、引っ越しの初日におはぎをカン太が持ってきてくれる場面では、カン太が「ヤーイ! お前んち、おっ化け、やっしき~!!」とサツキをからかってきます。サツキは、走り去るカン太に思いっきりあっかんべぇをしています。お母さんのお見舞いに行くときにも、父親の自転車の後ろに乗って、カン太にあっかんべぇをします。なお、どちらの場面でも、サツキの父親には、サツキがカン太にあっかんべぇをする様子は見えていません。サツキは、カン太には遠慮したり気を遣ったりせずに自分をぶつけられるようです。

 また、サツキは、カン太のおばあちゃんには、自分が抱えていた大きな不安をぶつけています。母親が一時帰宅できないと分かって、サツキとメイはすっかり落ち込んでしまいます。サツキは洗濯物も取り込まずに、ただゴロッと畳の上に横になっているだけです。そこへ、カン太の祖母が、心配して様子を見に来てくれます。カン太の祖母が、お米をとぎながら「お母さん風邪だっていうんだから、次の土曜日には戻ってくるよ。」と言ってサツキを元気づけようとします。サツキは、「この前もそうだったの、ほんのちょっと入院するだけだって、風邪みたいなものだって…。」と話し始めます。サツキは、不安を抑えて冷静さを保って話そうとしているように見えます。しかし、「お母さん死んじゃったらどうしよう!」と叫ぶように言い、母親が死んでしまうかもしれないという不安が吹き出してきます。そして、その場に立ちつくして、くしゃくしゃに顔をゆがめて、小さな子どものように泣きじゃくるのです。カン太の祖母は、一生懸命に不安を和らげようとサツキをなぐさめるのです。

 以上のように、サツキは、元気で明るく、よく気がついて頑張っている、本当によい子なのですが、もちろん一人の人間です。感情的になって、自分が抱えている感情を他人にぶつけてしまうこともあるのです。

 しかし、サツキが感情的になったり、誰かに感情をぶつけてしまうのは、父親や母親がいない場面に限られています。母親には気を遣い、負担を掛けまいとしています。父親にも、文句さえ言わず、一所懸命に母親代わりに家事をこなしているのです。そして、自分が本当に苦しんでいる不安は、父親にも母親にも打ち明けようとしませんし、ぶつけることもできないようです。

 しかし、少し救いがあるのは、サツキのお母さんはそういうサツキのことを少し分かっていることです。そして、病室では、サツキのことをやさしくサポートしてくれているのです。

 

 

サツキとメイが、お母さんのいない寂しさや不安と上手く付き合っていくのは、なぜ?

 「となりのトトロ」のお話しでは、サツキとメイは、お母さんが入院している状況で、知らない土地に引っ越して来るところから話が始まります。母親が病気で入院しているということは、子どもにとっては、大きな不安だと思われます。しかも、知らない土地に引っ越してくるわけですから、子どもたちの不安は非常に大きいのではないかと、想像されます。

 でも、引っ越しの当日の様子を見ると、サツキやメイは元気いっぱいの感じで、表面的には心配や不安は感じられません。どうしてでしょうか? 実は、不安が大きいときに、かえって元気いっぱいのように振る舞ってしまうというのは、子どもたちに良くあることです。妙にハイテンションになってしまう感じです。サツキとメイは、状況から考えると、心の奥には大きな不安を抱えていると想像するのが自然でしょう。特にサツキは自分のことは後回しにして、メイや父親を助けてくれるしっかりした長女です。だからこそ、父親やメイに心配をかけないように、気丈に振る舞っていると考えられます。

 つまり子どもたちは表面的には元気いっぱいなのですが、心の底の方には、母親のいない寂しさや母親の病気に対する不安が潜んでいるのです。

 

オバケという存在

 そういった子どもたちの感じている寂しさや不安といったマイナスの感情は、ススワタリやトトロといった「オバケ」という形で表れてきたのだと捉えられます。例えば、家族が引っ越してきた家は、かなりの「ボロ」で、子どもたちは「オバケ屋敷」だと感じます。つまり、「オバケ屋敷」という形で、家庭に対する不安が建物としての「家」に映し出されている(投影されている)と考えることができるのです。また、その後のオバケの登場シーンを見ていくと、サツキまたはメイが、緊張や不安、寂しさを感じているようなシーンに登場してきます。この点からも、子どもの感じている不安や寂しさが「オバケ」というイメージとして現れていると言えるわけです。

 

 ところで、この物語には、何種類かの「オバケ」が登場してきます。登場する順に並べると、「ススワタリ(まっくろくろすけ)」→「小トトロ」→「中トトロ」→「大トトロ」→「猫バス」となります。まっ黒な固まりに、眼がついただけのススワタリから、何かの動物のようなトトロへ、そして、イスや窓・行き先表示があり、しかも足が12本もあって、かなり複雑な姿の猫バスへと変化しています。つまり、非常に原始的で未分化なイメージから、高度に分化し発達したイメージへと順に変化していると言えます。こんなふうに、オバケたちが複雑で大きくな存在に変化していくことから、子どもの心の中の不安や寂しさが少しずつ変化して複雑で大きなものになっていっているのだろうと考えられます。

 

オバケと仲良くなる

 子どもたち不安がイメージとなって現れたオバケは、初めは、ススワタリのように非常に漠然としていて捉えどころのない存在でした。そして、次第に、怖いけれどもどこかユーモラスで親しみを感じさせる姿に発達していきます。しかし、どこかのアニメやゲームのように、邪悪な魔物や恐怖の魔王などは決して登場してこないのです。オバケが不安の表現だとすると、邪悪な魔物や恐怖の魔王が現れてくるというのは、不安がどんどん手に負えないものになって、ついには、不安に飲み込まれそうになってしまっていると想像されます。しかし、トトロも猫バスもそうではありません。でも反対に、トトロや猫バスといったオバケが出てこなくなる、つまり、不安がなくなるわけでもありません。「となりのトトロ」は、そのどちらでもないのです。サツキやメイは、なんとオバケと仲良くなってしまうのです。これは、どう捉えたら良いのでしょうか?

 これは、不安が解消された(オバケが出なくなる)わけではないけれど、不安に呑み込まれてしまわず、上手に付き合っていった(オバケと仲良くなった)ということなのだと考えられます。では、サツキとメイはどうして不安と上手に付き合っていくことができたのでしょうか? 実は、その背景と言える出来事は、物語の中にきちんと描かれています。

 

父親の姿勢

 「サツキとメイ」がなぜ不安に飲み込まれてしまわなかったかについてのヒントは、一番最初に「オバケ」に出会ったシーンにあります。それは、サツキとメイが、新しい家に引っ越してきて初めて2階に上がって、ススワタリの群れが壁の割れ目に逃げ込むのを目撃したシーンです。ここでは、サツキは強い不安におそわれたように見えます。そして、あわてて窓を開けて、庭にいる父親に向かって「お父さーん! やっぱりこの家、何かいる!!」と叫びます。すると、父親は「そりゃすごいぞ、オバケ屋敷に住むのが、子どもの時から、お父さんの夢だったんだ!」と応えます。

 似たようなやり取りは、その他のシーンでもいくつか出てきます。例えば、新しい家にやってきた直後に、サツキが家の中にドングリが落ちているのを見つるシーンです。サツキが「あっ、ドングリ!?」と驚きの声をあげると、父親は「リスでもいるのかな?」と天井を見上げます。さらに、「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」と言葉を続けます。この父親は決して、「家の中にドングリが落ちているわけないだろう」とか、「引っ越しで忙しいんだから、そんなことは後、後!」などとはいわないのです。

 父親は、家の中にドングリが落ちていたという驚きを子どもと共有し、子どもの目線で天井を見上げ、さらに、「リスでも…」とイメージをふくらませて、楽しんでいます。父親が子どもたちの不安をサポートしつ、不安と上手く付き合っていく姿勢を見せてくれたのです。こういった父親の姿勢に支えられて、子どもたちは不安を感じつつも、新たな生活に向かっていくことができたのだと考えられます。

 

  その後のシーンでも、同じような父親の姿勢が感じられます。例えば、メイが庭先で遊んでいてトトロの所に迷い込んでしまって、トトロに出会った時もそうです。父親はそのメイの体験をバカにしたり否定したりせず、「森の精にであったんだよ」と肯定的に意味づけ、「これからどうぞよろしくお願いします」とまじめに挨拶までしています。オバケが見守ってくれているのだというイメージを大きく膨らましてくれたのは、父親の働きなのです。そして、子どもたちはオバケと仲良くなって、母親のいない寂しさや不安と上手く付き合っていくことができたのだと考えられます。

 

日立市教育研究所報に取り上げていただきました。

「りさーち」第275号(日立市教育研究所報)

11月19日(土)に、日立市教育研究所の研修会で「学校の欠席が多い子どもをサポートして成長を促す関わり方」というテーマでお話をさせていただきました。その時のことが、「りさーち」日立市教育研究所報 275 号に紹介されました。

 その一部を紹介します。

「不登校支援をどう考えるか、子どもの成長を促す関わり方のコツについて 講話をいただきました。 講話後、参加希望者によるミーティングを行いました。不登校問題に直面している参加者からは、現在の悩みやこれまでの対応、今後の支援の在り方などについて、次々と質問が出されました。半田先生は、現在の子どもや支援者の良い行動を確認しながら、これからの支援の方向性について具体的に助言 してくださいました。先の見えない不安や焦りを抱えている参加者にとって、目の前にいる子どもの対 応や支援の方法を考える貴重な時間となりました。」

 

 

http://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/001/004/p010682_d/fil/275.pdf

 

 

 

日立市で研修会を担当します

日立市報「不登校に関する研修会」

 

11月19日に茨城県日立市で研修会を担当します。日立市報(2016年10月20日号)の12ページに掲載されましたので、情報を転載します。

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◇不登校に関する研修会

 

子どもが、「学校へ行きたくない」と言ってきた場合、どのように関わったらよいか。学校の欠席が多い子どもの成長を促すにどうすればよいか。子どもへの関わり方の工夫をいっしょに考えてみませんか。

 

時 11月19日(土)午後1時15分~4時15分   (午後1時受付開始)

場 ホリゾンかみね研修室

対 市内にお住まいで不登校問題に関心のある方

内 学校の欠席が多い子どもをサポートして成長を促す関わり方

  講師=半田一郎さん(茨城県カウンセリングアドバイザー)

申 11月9日(水)までに電話で教育研究所まで

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 http://www.city.hitachi.lg.jp/shisei/006/002/028/p055430.html

 

 

 

田村節子先生(学校心理士スーパーバイザー)の講演

学校心理士スーパーバイザー田村節子先生

学校心理士スーパーバイザーでの田村節子先生がつくば市で講演しますね。

つくば市民の方には、お勧めです。

 

以下、つくば市のホームページからです。

https://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14214/14667/020180.html

 

第3回 つくば市家庭教育講演会

 

子育てをサポートする力強いメッセージ!~乳幼児から思春期まで~

 

日時   10月30日(日曜日)9時50分~11時30分(受付9時30分から)

会場   つくば市役所 2階会議室201 

講師      田村 節子 先生(東京成徳大学大学院教授・筑波大学非常勤講師)

演題   「親と子が幸せになるXとYの法則~思春期に焦点をあてて~」

内容    子育てには迷いがつきものです。特に思春期なら尚更のこと・・。当日は事例をあげて「子どもとの向かい方のコツ」をわかりやすくお伝えします。

対象   つくば市在住,在勤,在学,在園の保護者 

定員   200名(希望者多数の場合抽選) 

保育あり 事前申込み必要

 

 ※保育希望の方は,インターネットからの申込みは出来ません。下記の申込み方法2を参考にし,各地交流センターまたは文化振興課まで直接お申込みください。

 

対象 生後8ヶ月から4歳児までが対象(10月30日現在)

保育定員 20人(応募多数の場合は抽選)       

             

 ※なお,保育の抽選にもれた方,上記の月齢対象者外,お子さんと同伴を希望される方は,会場内にお子様と一緒に入場できます。

 

申込期間   9月26日(月曜日)~10月7日(金曜日)必着

 

 

        

スクールカウンセラーを育てるには

 以前から思っていたのですが、どうしても、気になるので書いてみました。

 

 スクールカウンセラーが常勤化されるという見通しのようです。現実化するのは、数年以上先だと思われますが、スクールカウンセラーが今よりも必要となり、人材が足りないのではないかということがあるようです。それに伴って、スクールカウンセラーの質を確保するということも大切だと言われています。

「病院での臨床経験など学校以外での経験がない人がスクールカウンセラーになることが果たして良いのか」ということを主張する人もいます。

 

 私は、スクールカウンセラーを人数も質も確保しなくてはいけないということには賛成なのです。でも、スクールカウンセラーになるには、病院での臨床経験が必要という意見には、全く賛成できません。

スクールカウンセラー制度が始まって20年を超えましたが、20年前から同じようなことを言う人はいました。病院などで経験豊富な人がスクールカウンセラーになってくれたら、やはり良いことだと思われます。

でも、よく考えてみるとこの考え方はおかしいところがあります。

 

 別の例を使って考えてみます。例えば、「学校の先生になるには、塾講師の経験がないとダメだね」という意見はどうでしょうか? この意見を塾講師の人が言うのであれば、塾講師という仕事を学校の先生よりも高く評価していると考えれば、全体的に理解できます。しかし、この意見を学校の先生が言った場合はどうでしょうか? この言葉には塾講師の方を自分の仕事よりも高く評価しているという意味が含まれているので、こんなこという学校の先生は自分の仕事をどう評価しているのか、自分の仕事に誇りを持っているのか、疑問を感じてしまいます。

 しかし、スクールカウンセラーについては、病院での臨床経験がないとスクールカウンセラーはできないというような意見が、意外と通用しているようです。

 

 ところで、大学の学生相談の概念ですが、「療学援助」という言葉があります。精神科などの医療機関で治療を受けながら大学での学業の継続や大学への復帰を目指す学生を学生相談がサポートするという援助活動です。精神疾患を治療するのではなく、精神科的な病気を抱えながらも、大学での学業や生活をきちんとやっていけるように学生相談室がカウンセリングなどの活動を通してサポートするのです。病院でのカウンセリングとはまた違った機能や役割が求められるのです。

 

 学校でのスクールカウンセラーが常勤化されると、子どもとのカウンセリング面接以外の活動も非常に多くなると思われます。療学援助と全く同じで、様々な困難を抱えた子どもが学校で上手くやっていけるような支援を適切に行うことが必要になるのです。だから、スクールカウンセラーの活動の中で病院での経験が役に立つ部分は、本当に小さい部分でしかないというふうに予想されます。病院での経験がないとスクールカウンセラーはできないというような意見には論理的・現実的な整合性がありません。

 

 現場で必要なことは現場で学ぶことができるはずです。それをどういう仕組みで実現するのかが大切だと思います。

 

 

中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド

中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド

中高生からのライフ&セックスサバイバルガイド」を読んでいます。いわゆる教科書的な内容、通り一遍の内容ではないですね。大変素晴らしい本だと思います。

 

ところで、9月1日に若者の自殺が多くなるからとういうことで、中高生の心のケアや自殺予防について、マスコミでも色々と取り上げていました。正直私は大変驚いたのです。というのは、昨年の8月の終わり頃から、9月1日が自殺の多い日だと言うことが広く知られるようになって、昨年の8月の終わり頃にも、若者の自殺や自殺予防が色々と取り上げられていました。だから、「今年は余り話題にならないだろう」と何となく思っていました。自殺予防は、その直前になって、色々と一生懸命になって予防しようとするだけでは、なかなか上手くいかないことは分かっているからです。「9月1日に自殺が多くなると、1年前から分かったから、1年間を通して予防につながるように動いているはずだから、8月になってから慌てて騒がなくてもきっとOKだよね」というふうに思っていました。だから、今年も去年と同じように、9月1日を目前にして、色々と大きく取り上げられていたので、ビックリしました。

 

このような本を、一年間を通して折に触れて取り上げたりしていけば、大人が子どものことを真剣に大切にしているんだと伝わって行って、それが自殺予防にもつながるんじゃないかなと、思ったりしました。中身的にも、知っているだけで救われるような子もいるのではないかと思います。すごく苦しんでいる子が読んでも、もしかしたら、自分も生き延びていけるかもしれないという希望を持つことができかもしれません。そんなことが伝わって行くホンダと思います。中学校の図書室や保健室にはこの本を置いてもらいたいなぁと思うのです。中学生が必要としている情報と知識です。

 

こういう本を読むと、本当に、テレビや学校から見えているのは、社会や人間の表面だけだなと、痛感します。人は多様で、そこが素晴らしいのですね。

 

ということを考えていると、昔のことを思い出しました。私がスクールカウンセラーとして駆け出しの頃、20年ぐらい前ですが、その頃には、昼休みなどの休み時間に相談室を開放して、誰でも息抜きやおしゃべりに来てもOKという活動をしていました。相談室には、学校の図書室から借りたマンガや本をいくつか置いてありました。その中に、性教育関係の本を数冊置いていたのです。その本は、「ティーンのからだ・こころ・愛(アーニ出版)」という本でした。人が余りいない時を見計らうようにして、何人かの生徒がやってきては、その本を読んでいっていました。

 

中学生と高校生、そして、大学生、その保護者の方に、お勧めします。

 

病人に傷つけられるのも看病のうち

内田樹さんの本はよく読むのですが、「困難な結婚」という、この本はこれから読みます。

 

パラパラとめくってみて、目について驚愕しつつ、納得した言葉を書き留めておきます。

「病人に傷つけられるのも看病のうち」(p192)

とのことです。

 

ああ、そうだ。と深く納得してしまいました。

 

「自分が病人になったときのことを考えれば分かると思いますけれど、病人というのは「わがままを言う」「文句を言う」「生産的なことを何もしない」「みんなに迷惑をかける」ことが「できる」ことによって治癒するわけです。」

 

「できる」ことは、ブリーフセラピーで言うリソースです。

 

 

 

田嶌誠一先生の研修会

田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」

日本学校心理学会の主催で、九州大学名誉教授の田嶌誠一先生の研修会が開かれます。

 

 田嶌誠一先生は、「壺イメージ療法」という一見、ちょっと変わった心理療法をご自身で開発されて実践しておられました。実は、一見変わった心理療法と書きましたが、中身は心理療法らしい心理療法だと思います。講談社現代新書から「イメージ体験の心理学 (講談社現代新書)」田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」 という分かりやすい解説本がでておりますので、お勧めします。

 

その後、児童養護施設での施設内の暴力に関して安全委員会方式というシステム作りを推奨されています。安全委員会方式については、「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応―続・現実に介入しつつ心に関わる」田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」という本で詳しく解説されています。

 

壺イメージ療法は、ミクロなレベルでの安心安全を確保するというアプローチで、安全委員会方式はマクロなレベルで安心安全を確保するというアプローチだと、捉えられます。ミクロから入ってマクロまで、安心安全を大切にしてこられた、田嶌誠一先生のお話が伺えるチャンスがあるということに、大変楽しみにしております。関東でお話しが聞けるのは、なかなかチャンスも少ないと思いますので、なおのこと、すごく楽しみな気持ちです。

 

学校心理士の人にも、学校心理士の資格取得を目指す人にも、スクールカウンセラーの人にも、学校の先生にも、本当にお勧めします。

予約や申し込みは、不要とのことです。当日に会場に行けば、3000円で参加できます。

 

日本学校心理学会のホームページ(http://schoolpsychology.jp/workshop/index.html)から、情報を転載します。

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「現実に介入しつつ心に関わる―多面的体験支援アプローチ」

 

講師:九州大学名誉教授

   田嶌 誠一 先生

日時:平成28年11月3日(木・祝)13:30~16:30(受付12:30~)

場所:筑波大学 東京キャンパス文京校舎 

東京メトロ丸の内線 茗荷谷駅下車  徒歩3分

参加費:会員…1,000円,非会員…3,000円

学生参加 可 会員…1,000円,非会員…2,000円

 

 「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!――映画『踊る大捜査線』の名シーンである。それをまねて言えば,「問題は面接室の中で起きてるんじゃない!生活の中で起きてるんだ!!」と訴えたい。学校現場のニーズを「汲み取る,引き出す,応える」ためには,心理士が心の内面に関わるという姿勢だけでは極めて不十分で,「現実に介入しつつ心に関わる」という姿勢とそれに基づく多面的アプローチが重要だと私は考えています。

 

※この研修会は学校心理士資格更新の際のポイント(B種)として申請中です。

※学校心理士のポイントを希望される方は、研修会の遅刻・早退は原則認められません。

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バケモノの子を見ました。

バケモノの子」をテレビで放送していたので、遅ればせながら見てみました。私的には、色々と考えることができて、すごく良かったです。

 

バケモノの子」という作品のテーマは、「学び」なんだと私は思いました。作品は、私が「学び」について何となく気づいていたことをはっきりさせてくれました。そして、私を「学び」へと誘ってくれました。

 

「学び」には、「何を学ぶか」は重要ではなく、「誰と学ぶのか」の方が重要なんだと、自分の中でははっきりと気づきました。人間は、全ての瞬間に学んでいます。だから、学ぼうと意識していないことも、自然と学んでしまいます。しかも、人から学ぶようにもともと作られています(多分)。あくびが伝染するように、身近な人のあり方が自然に自分の身体に移ってくるものです。それが、本質的な学びだと思います。

だからこそ、この人から学びたいという人を見つけたら、その人のあり方が自然と自分に移ってくるように、その人に近づき、時間をともにし、ぶつかっていけば良いのです。おそらく学びは自然に生じてしまいます。

 

そして、「学び」は、連鎖しています。教える側と学ぶ側が無限につながって「学び」が生じています。そのつながりに身を投じていくことが「学び」なのです。教える側と学ぶ側を分けることはできません。教える側が、最も学んでいます。教える側は学ぶ側なのです。だからこそ、学ぶ側は教える側なのです。

 

繰り返しですが、何を学ぶかは重要ではなく、全ては自然と学ばれてしまうのです。だから、誰と学ぶのか、ということのほうが、大切だったのです。改めて、はっきりとそう気づきました。自分を信じて、自分の大切な人と時間を共にしていくことが、多分、私に沢山のことを学ばせてくれるのだと、思います。学びの無限のつながりに身を投じていけば、自然に必要なことが学ばれるに違いありません。これからも、安心して学んでいけそうな気がします。

 

「バケモノの子」は、「学びの入り口は沢山あるんだよ」と優しく語りかけているようでした。学ぶことで人生が開かれていくんだと、優しく教えてくれているようにも感じました。本を読むことも、高認を受けることも、修行をすることも、大学へ行くことも、受験勉強をすることも、全てが学びなんだと、思いました。

 

栞とは、山道を歩くときに、枝を折って自分が通った道に目印をつけて迷わないようにするという「枝折り」(しおり)が語源のようです。本の中の目印が、広く深い学びのプロセスの中で、自分自身を見失わないようにする目印として描かれていたのが印象的でした。一人で学ばざるを得ない者は道に迷ってしまいがちです。誰かと学ぶことができるようになると、栞はいらなくなるのかもしれません。栞が受け渡されていったこともまた、学びの無限のつながりに身が投じられたことのひとつの証なのだと感じました。