なかなか謝れない子どもへの指導

  もうすぐ夏休みですが、夏休みの期間中、学校の先生方はたくさんの研修に追われます。私も、いくつかの研修会に呼んでいただき、講師を担当することになっています。今年は、発達障害の子どもたちをどう理解してどう支援していくのかという内容での研修をいくつか頼まれています。私なりに、今まで学んできたことや自分の実践の中で工夫してきて手応えを感じていることをお伝えしようと思っています。

 

 そういった研修会の中でお話ししようと思っていることの一つに、「ごめんなさいが言えない」という問題への支援方法があります。学校現場では、発達障害の子どもたちが、友達とトラブルになってしまったときになかなか謝罪できず、先生方 が対応に苦慮しているという現状があります。相手の子に謝るように繰り返し指導しているけれども、自分勝手な理屈を主張して謝らないというような事例もあるようです。先生方も発達障害の子どもを責めたいわけではなく、その子が相手の子どもから否定的に思われることを避けるため、社会へ出たときに人と上手くやっていく力を育てるため、などと子どものためを思って一生懸命指導されているようです。しかし、繰り返し指導してもなかなか謝れるようにならないケースがあります。

 

 その一つに、「悪いことをした人は謝らないといけない」という指導方法がかえって逆効果になっている場合があります。発達障害の子どもの中には、自分自身が感じて いることが世界の全てであって、他人が自分とは違うふうに感じているということがピントこない子どももいます。そうすると、その子どもにとっては、自分自身は「悪いこと」はしていないという感覚なのです。

 

 例えば、小学校2年生の授業中の活動で話し合い活動をしていたとします。A君は、後ろを向いて後ろの座席の子ども(B君)と話していました。時間が来て、先生が話し合い終了の指示を出して、A君は前を向きました。そのときに、机の端においてあったB君の筆箱にA君の手が当たってしまって、B君の筆箱が机から落ちてしまいました。そしてB君の筆箱は割れてしまい、B君は泣きはじめてしまいました。それを見た担任の先生は、何が起 きたのかを本人や周囲の子どもたちから聞いて、状況を理解しました。そして、A君に対してB君に謝るように言いました。しかし、A君は「僕は悪くない」と言い張って、全く謝りません。さらに先生が指導すると、「B君が机の端に筆箱を置いていたのが悪い」「先生が急に前を向くように言ったのが悪い」と言ってきます。そこで、先生は「筆箱を落としたのはA君なんだから、悪いのはA君でしょう。悪いことをした人は謝らないといけないよ」と指導しますが、A君は「自分は悪くない」「B君と先生が悪い」と先ほどと同じ事を言ってきて指導を全く受け入れられない状況です。

 

 発達障害を持つ子どもの中には、こんなふうに友達とトラブルになって しまったときに謝れないということが生じがちです。こんな場合にお勧めできない指導方法は、「悪いことをした子は謝らないといけないよ」という言葉に表れてきている、「誰が悪いかを決め」「悪いことをした人が謝罪する」という指導です。発達障害の子どもたちは、他者の立場に立って、他者の見方で自分自身を理解することが苦手です。つまり、自分自身の立場にたって、自分自身の見方で理解した世界が世界の全てなのです。上述の例では、A君は筆箱を落としてやろうとか、B君を困らせてやろうなどとは全く考えていなかったでしょう。自分自身には悪意はないのです。だから「誰が悪いか?」とA君を追求していけば、A君は「筆箱を机の端に置い たB君が悪い」とか、「急に呼びかけてあわてさせた先生が悪い」と考えを進めていくしかありません。こういった状況で無理に「ごめんなさい」と言わせても、形だけの謝罪になってしまいがちです。A君にとっても、理解できない不快な体験として記憶される可能性が高いですし、B君にとっても納得のいかない結末となってしまうでしょう。

 

 では、どんなふうに指導していけば、トラブルが生じたときに謝らせることができるのでしょうか? まず、必要なことは、共感的にかかわることです。A君にもB君にも共感的にかかわる必要があります。B君が泣いているわけですから、まずB君に「筆箱が壊れてしまって、ショックだね。悲しい気持ちになる ね。」などと感情を言語化しつつ、気持ちを受け止めていくことが大切でしょう。そして、A君に対して「筆箱が落ちちゃって壊れちゃって、A君もびっくりしたかな? ショックだよね。」などと同様に声をかけてあげたいところです。さらに「B君が、どんな気持になっているか、A君は分かるかな?」、あるいは、「あなた(A君)も、ビックリしたりショックだったり、いやな気持ちになっちゃったんだけど、B君も、すごくいやな気持ちになったんだよね。」などとB君の気持ちに目を向けさせます。もしA君が「(B君は)すごく悲しいんだって」などと、B君の気持ちを受け止める発言が出てきたら、すごくほめてあげたいと思います。ここで、こちら から「相手の気持ちを大切にする言葉を前に勉強したでしょう。覚えてるかな?」とA君に投げかけます。(事前の学習を思い出させます。)そして、A君にどう言えばいいかを考えさせて、答えられたら、それを言うように促します。答えられなかったら、「この場合はB君に「すみませんでした」って言おうね」などと促して、できる限り言わせるように指導します。言えない場合には、「A君は本当は「すみませんでした」って言いたいけど恥ずかしくって言えないから先生がA君の代わりにB君に言っておいてもいいかな?」とA君に確認した上で、A君のいる場面で、A君に聞こえるように、B君に「すみませんでした」と謝ります。謝って終わりではなく て、「これからはどうしたらいいと思う?」などとA君(B君にも)投げかけます。自分の行動を振り返ることも大切なことだと思われます。

 

 途中で書いたように、この指導が成立するためには、事前の指導が必要です。「ありがとう」「ごめんなさい」「すみません」という言葉は相手の気持ちを大切にする言葉だと授業などで学ばせておきます。大人が電車で席を譲ってもらった時にどう言うかを例にあげて学習します。席を譲ってもらった人が、譲ってくれた人に「ありがとう」と言う場合もありますが、「ごめんなさい」とか「すみません」と言う場合もあります。自分が悪いことをしたから「ごめんなさい」とか「すみません」と謝っているのではな く、相手の気持ち(善意)に対して配慮するための言葉だと学ばせます。悪いことをした人が使うわけではないということがポイントです。誰も悪くない時に、相手の気持ちを大切に思って、「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」などと言うわけです。上の例で「すみませんでした」と言うように促すことは、2つの理由があります。1つは、「ごめんなさい」というのは、悪いことをしたときに謝る言葉だと、色々な場面で教え込まれてしまっている可能性があるからです。A君が「自分は悪くないからごめんなさいは言わない」と拒否するかもしれません。もう1つの理由は語原からです。「すみません」は「済みません」とも「澄みません」とも漢字 で書きます。「気持ちが済まない」つまり、気持ちの整理がつかないというニュアンスが含まれています。「気持ちが澄まない」も同様で、気持ちの中にモヤモヤが残ってしまうというニュアンスが含まれています。相手の気持ちも自分の気持ちも、整理がつかなかったり、モヤモヤするということを、口に出して表現して、気持ちを大切にする言葉が「すみません」という言葉なのです。こういった理由から、「すみませんでした」と謝意を表すことを促すのがよいと思われます。

 

AIカウンセリング

6月25日に放送されたNHKスペシャル「人工知能 天使か悪魔か 2017」を見ました。

本当に面白かったです。

人工知能が、大きく人間社会を変えていく可能性が示されていました。

AIを恐れるのではなく、人間が上手くAIを使っていくことを考えて行けば良いのだということがはっきり示されていました。

 

 AIが人間に取って代わるのではないか、という不安はもっともなことだと思います。しかし、AIは人間のすばらしさを際立たせてくれる存在になると感じました。

 

 番組では、将棋界の最高位・佐藤天彦名人と将棋AIポナンザの対戦を詳しく紹介していました。私には、将棋AIのポナンザの強さは、取り立てて驚くことではないように感じられました。コンピューターのハードウェアも進歩していますし、AIに取り込まれているデータの量も恐ろしい量です。人間よりも強いのは当然の帰結です。自動車が人間よりも速く走るということと同じことだと思います。将棋AIのポナンザと向き合う佐藤天彦名人の姿勢には大変感銘を受けました。

 

さて、ブログタイトルのAIカウンセリングですが、まだ実用化されていないと思います。AIカウンセリングも、そのうち実用化されてくるのではないかと、私は期待しています。AIとやりとりをして、クライエント(相談に来た人)の心が癒やされるのだろうか? という疑問をもつ人も多いようです。私は、AIのカウンセリングも人の心を癒やすことが十分できると考えています。なぜなら、カウンセリングでは、カウンセラーがクライエントの心を癒やすのではないからです。クライエント自身が自分の心を癒やすのです。カウンセラーは、クライエントがもともと持っている自分で癒えていく力が自然に働いていけるように手助けしているに過ぎません。

 

 AIカウンセリングで、心が癒えていくということは、カウンセラーがすごいのではなく、クライエント自身の心に力があるということをはっきりさせてくれるように思います。

 

 AIカウンセリングが身近な存在になる日を楽しみにしています。

ティーンズバリバラが面白かった

NHKのEテレで5月28日(日)夜7:00から、「ティーンズバリバラ ~発達障害の悩み~」が放送されていました。

 

スタジオに、発達障害のある中高生8人が集まって、色々とお話をしてくれていました。ひとり一人、個性があって、それぞれの人に「魅力的だなぁ~」と感じました。でも、多分、彼ら彼女たちは、今はかなり色々と苦労したり辛い思いをしたりしているのだろうなぁと、想像しました。そういった苦労などは、本当は、決してマイナスにはならず、プラスになっていくのだと思います。でも、中学生や高校生の頃には、なかなか先の見通しが持てないので、余計に苦労したり苦しい思いをしたりしているかもしれません。身近な人が、彼ら彼女たちを理解してくれて、そっと支えてくれたらどんなにか良いだろうと思います。

 

そういうなかで、笹森理絵さんが良い役割を果たしていました。笹森さんは、発達障害の当事者でNHKのハートネットにも度々登場していた方です。番組では「発達障害の先輩」として紹介されていました。笹森さんのコメントが暖かくて素敵でした。

再放送が6月2日(金)0:00(木曜深夜)にあるようです。ぜひ、見て下さい。

 

番組のホームページはこちらから

 

 

瞬間最高1位

今年の1月10日にほんの森出版から発行させていただいた「一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー」が、アマゾンのカウンセリング(学校教育)カテゴリーでなんと、1位になっていました(4月24日午前中)。その記念に画面をキャプチャしました。色んな人が本を購入してくれているんだなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。レビューにもすごく良いレビューを書いていただいていて感激しています。

 

 

一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのためにー
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのために
一瞬で良い変化を起こす10秒・30秒・3分カウンセリング―すべての教師とスクールカウンセラーのために

カンタにはトトロが見えるのでしょうか?

 「となりのトトロ」の登場人物の中で、トトロが見えるのは、多分メイとサツキだけです。カンタのおばあちゃんが小さい頃には見えたのかもしれません。カンタのおばあちゃんは、ススワタリに驚いているサツキに対して「そりゃあ、ススワタリだな。ばあちゃんにも小さな頃は見えたんだけんど」と言っています。昔は見えたのかもしれませんが、今はおばあちゃんには見えないようです。

 実はサツキにもトトロは見えたり見えなかったりするようです。お風呂のお湯をわかすために薪を庭先に取りに行くシーンでは、突風が巻き起こって、薪を空中へ舞あげてしまいます。後から考えるとこの場面では、トトロが地面近くの空を飛びながら、急上昇して木のてっぺんの所にとまったのではないかと想像されます。この場面はサツキを中心に描かれていますが、サツキにはここではトトロが見えていないのでしょう。

 ところで、カンタは、サツキと同級生ですが、多分、カンタにはトトロは見えないのです。この物語の秘密は、なぜサツキにトトロが見えて、カンタにはトトロが見えないのかというところにあります。

 カンタにはトトロが見えないということを入り口に子どものサポートについて考えてみます。

 

メイが学校へ来た日

 ある日、サツキが学校で勉強をしていると、カンタのおばあちゃんが学校へメイを連れてやってきました。メイはお姉ちゃんのサツキがいなくてさびしくなって、近所のカンタのおばあちゃんにわがままを言って学校まで連れてきてもらったようです。担任の先生は快くメイを教室に受け入れてくれて、メイはサツキの教室で一緒に机を並べて座り、お絵描きをして楽しく過ごしたようです。

 その帰りのことです。サツキとメイは一緒に学校から帰っていたのですが、途中で雨が降り出してしまいました。サツキとメイは、傘を持っていなかったために、雨の中を濡れて家に向かっていました。でも、あっという間に本降りになってしまい、2人はお地蔵さんのお堂で雨宿りをすることにしました。ちょうどそこに、傘をさしたカンタが通りかかります。カンタは、少し迷ったようですが、「ん!」と言ってサツキに自分のさしていた傘をつきだして、半ば無理矢理にサツキに傘を貸してくれました。そして、自分は傘をささないで、雨の中を走って行ってしまったのです。サツキに意地悪を言っていたカンタがつっけんどんに傘を貸してくれる様子が大変微笑ましく感じられるシーンです。

 

カンタはなぜ傘を持っていたのでしょうか?

 でも、なぜカンタは傘を持っていて、サツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタは、いわゆるやんちゃ坊主という雰囲気です。朝学校に行くときに、今日の天気を気にして傘を持っていくようなタイプには見えません。しかも、この日の朝は晴天でした。それにもかかわらず、なぜかカンタは傘を持っていたのです。なぜなのでしょう?

 実は、理由は極めて単純です。母親がカン太に傘を持って行かせたのでしょう。では反対に、なぜ、サツキは朝に傘を持って登校しなかったのでしょうか? この2人の違いを考えていくことは、子どもをサポートすることを考えていくことにつながってきます。

 

 ところで、カンタとサツキのおかれている状況は、見事な対比で描かれています。実は、カンタが持っている傘は、穴だらけのぼろぼろの傘です。そのため、傘をさしたところで、雨でずぶ濡れになってしまうように思われます。一方、サツキはこの場面では傘は持ってきていないのですが、家にはきちんとした、子ども用の赤い傘があるようです(この後のシーンで出てきます)。

 

 ここで、先ほどの疑問をもう一度考えてみて下さい、なぜ、ちゃんとした傘があるのに、このシーンではサツキは傘を持っていなかったのでしょうか? カンタと正反対ですが、理由はやはり簡単です。サツキには、傘を持って登校するように言ってくれる人が誰もいなかったのです。サツキの母親は、病気で入院しています。父親も、遠くの仕事場まで朝早くに出かけてしまうのです。朝、登校するときには、サツキはメイを連れてひとりで家を出てきたのです。きちんとした物はあっても、サツキを気遣ってくれる大人のサポートが身近になかったのです。一方、カンタには、ボロ傘しかありませんが、気遣って持っていくように言ってくれる母親が身近にいたのです。

 

 みんなが傘をさして下校している様子を見て、サツキは、自分ひとりが傘を持っていないことにがっかりした気持ちになったかも知れません。必要な物を自分だけ持っていない状況は、自分ひとりだけ取り残されてような気持ちになるものです。サツキの心にはさびしい気持ちが押し寄せてきたかも知れません。

 

サポートの本質

 この2人の対比は、サポートの本質を明確に示してくれます。完璧なものが用意されていることがサポートの本質ではないのです。ボロ傘であっても持って行くようにいってくれる母親の気持ちがサポートなのです。つまり、サポート自体は不完全ではあっても相手のニーズに気づきそれをサポートしようという人間の意図が、サポートの本質なのです。

 「となりのトトロ」はこんなちょっとしたシーンにも、深い意味合いが隠されているように感じます。子どもも大人も、みんなが「となりのトトロ」を大好きなのは、知らず知らずのうちに、物語の中から深い意味合いを感じ取っているからだと思います。

 ところで、雨宿りをしているサツキたちを見かけたカンタは、ボロ傘を強引に貸してくれます。カンタがサツキのさびしい気持ちを深く感じ取ったのかどうかは、よくわかりません。困っていることは分かってくれたのでしょう。しかし、サツキとメイの2人で、カンタのボロ傘をさして家に帰っても、たぶんずぶ濡れになってしまうでしょう。雨に濡れるか濡れないかだけで考えれば、カンタの行動は全く意味がありません。そのことよりも、困っていることに気づき、助けてくれたカンタの気持ちそのものが大切なのです。カンタの優しさは、きっとサツキをしっかりとサポートしてくれたのだと思います。

 

サツキへのサポート

 こんなふうに、カンタは家庭でしっかりとサポートされていて、元気いっぱいに育っているのです。一方のサツキは、母親が入院しています。父親は優しい人ではあっても、なんだか頼りないかんじです。サツキは、家庭でしっかりとサポートされていないのです。しかし、家庭でのサポートが十分ではない所は、地域のサポートが補ってくれています。カンタのおばあちゃんが色々と面倒を見てくれたり、メイを預かってくれたり、学校でもメイを教室に入れて一緒に勉強させてくれたりという感じです。地域でサツキやメイをサポートしてくれています。

 しかし、地域のサポートも十分ではありません。父親をバス停まで迎えに行った時には、なかなか父親が帰ってきませんでした。そして、暗い夜道で小学校4年生のサツキと4歳のメイという姉妹が長い間父親を待つことになってしまったのです。ここでは、地域の人は誰も助けてはくれません。そんなときに、現れて姉妹を不安からサポートしてくれたのがトトロであり猫バスです。トトロと猫バスは地域のサポートが届かない場面で、子どもたちをしっかりと支えてくれたのです。トトロは、大クスの木の精で森の守り神というような存在ですから、人間を超えた自然のサポートと理解することができるでしょう。

 サツキに大人のサポートが届いていなかったとき、心が不安と緊張でいっぱいになってしまったときに、トトロが現れているのです。

 他にも、母親の病気という不安に直面したメイが勝手に病院まで出かけてしまって、迷子になってしまったときにもトトロが現れてサツキを助けてくれます。カンタやカンタのおばあちゃんや地域の人が総出で、メイの行方を捜しますが、見つかりません。ここでもやはり、トトロと猫バスがサツキとメイをサポートしてくれるのです。

 

 こんなふうに考えると、「となりのトトロ」の世界では、子どもたちが3重にサポートされていると考えることができます。一番内側のサポートは「家庭のサポート」で、その外側にあるのは「地域のサポート」、一番外側にあるのは「人間を超えた存在のサポート」という形で3重にサポートされています。

 

カンタへのサポート

 ところでカンタへのサポートはどうでしょうか?カンタは、上に書いたように、家庭でしっかりとサポートされています。そして、物語では描かれていませんが、多分、地域でもサポートされているでしょう。そして、本家ともそれなりのつながりがあって、電話を借りたりはできるようですし、本家のおばあちゃんからも優しい言葉をかけられています。つまり、カンタは、家庭と地域でしっかりとサポートされているのです。カンタには、人間を超えた存在のサポートは必要がないのです。多分、カンタはトトロとは出会うことなく、大人になっていくのでしょう。寂しいことかもしれませんが、幸せなことです。

 

ハッピーエンドに

 となりのトトロのお話しは、エンディング曲が流れる背景で、母親が帰宅してくる様子が描かれています。そしてサツキやメイは、元気いっぱいに他の子どもたちに入り交じって遊んでいる様子が描かれています。トトロは、雪だるまのモチーフとして、かろうじて存在をとどめています。母親の病気が治って、子どもたちは、家庭と地域でしっかりとサポートされ、トトロの出番はなくなりハッピーエンドでお話しは終わります。

 

現代のサツキは?

 ところで、現代のサツキはちゃんとハッピーエンドを迎えることができているのでしょうか? 様々な理由で家庭のサポートが十分ではない子どもたちも、しっかりと地域でサポートされているのでしょうか? しかも、本当に残念なことに現代の社会には、多分、トトロも猫バスもいないのです。家庭でも地域でもサポートされていない子どもたちには、現代の現実社会では、人間を超えた存在のサポートは届いていないでしょう。サツキのとなりにはトトロがいてくれたのですが、現代のサツキたちのとなりにはどのような存在がいて、きちんとサポートしてくれているのでしょうか?

 

 となりのトトロを見て何かを感じ取った私たちは、トトロの代わりに現代のサツキをサポートすることが求められています。

 

「となりのトトロ」サツキは頑張り屋さんなんだけど、本当は・・・

「となりのトトロ」の色々なシーンを取り上げながら、主人公のサツキについて、考えてみたいと思います。一見、サツキは元気で明るいよい子なのですが、詳しくみていくと、色んな面が見えてきます。

 

頑張り屋のサツキ

 サツキは、母親代わりになって、家族を支える頑張りやさんです。たとえば、父親が寝坊をしてすっかり寝過ごしてしまっても、サツキはメイに手伝わせながら朝食の準備を整えています。父親はメイに起こされてやっと起きます。そしてサツキが朝食を作っているのを見て「すまん、また寝過ごした。」と謝っています。「また寝過ごした」、と言っているところから、父親が寝過ごしてサツキが朝食を作ったのは今回だけではないことが分かります。しかも、サツキは、朝食だけではなく、お昼のお弁当まで作ります。サツキは「今日から私お弁当よ」「みんなのも作るね」とさわやかに言い、自分のお弁当だけではなく、父親とメイのお弁当まで作ってしまいます。メイはサツキにお弁当を作ってもらって、飛び上がって喜びます。そして、作ってもらった自分のお弁当を見つめながらうっとりとため息をつきます。メイは、本当にうれしそうに見えます。

 サツキは、家族みんなのことを考えて、細かく気配りをしているのです。その上に、こういった朝食とお弁当の準備という非常に忙しいさなかに、起こされてからやっと起きてきた父親に対して、文句一つ言わないのです。終始、元気で明るさがいっぱいです。サツキはすごく頑張っていて、非の打ち所がないような、よい子に思えます。

 また、サツキは父親のことも心配し、世話を焼きます。父親が傘を持たずに仕事に出かけてしまったときには、サツキはそれに気づいて、バス停まで父親の傘を持って迎えに行きます。しかし、父親が帰ってくるはずのバスには父親は乗っておらず、サツキはメイと一緒にバス停で待ち続けます。そのうちに、すっかり日は暮れてしまい、真っ暗な中に街灯の明かりだけが光っています。しかも、メイは疲れて、サツキの側で立ったままうとうとし始めます。サツキは仕方なく、メイを背負ってそのままバスを待ち続けるのです。メイはサツキに甘えることができたのですが、サツキは誰にも支えてもらうことができません。サツキ自身も、非常に心細い気持ちになっているはずですが、そのバス停で待ち続けるのです。サツキは本当に頑張っているのです。

 他にも、サツキは家族以外との連絡もきちんとこなします。サツキたちがカン太のおばあちゃんと一緒に畑で野菜の収穫をしているときに、電報が配達されて来ます。それは母親が入院している病院からのもので、連絡を求める内容です。カン太のおばあちゃんは、本家に行って電話を借りるように促します。サツキは、カン太の家の本家で電話を借りて、父親の研究室まで電話を掛けるのです。

 今では電話はごく日常的で手軽な道具ですが、サツキの時代には、特別なものだったと思われます。手軽さは全くありません。カン太がついてきてくれているとはいえ、見知らぬ家で電話を借りることは、簡単なことではないでしょう。しかも、電話はプッシュ式でもダイヤル式でもありません。交換手に掛ける先を伝えなくてはならないのです。サツキは、「市外をお願いします。」「東京の31局の1382番です。」と交換手に父親の大学の研究室の番号をきちんと伝えます。そして、電話がつながると「もしもし、考古学教室ですか? 父を、あの草壁をお願いします。」ときちんと話します。電話を掛けているときのサツキは、不安を強く抱えていて、しかも、それを一生懸命抑えているように見えます。母親の病気への不安に直面しながら、きちんと連絡をつけるということは、なかなかの仕事です。それを、サツキはしっかりとこなしています。ただ、10歳の子どもの果たす役割ではなく、家族に大人がいれば、その大人が果たす役割だと考えられます。やはり、サツキは相当な頑張りぶりなのです。

 

自分のことは後回しにするサツキ

 引っ越してきて何日かたって、サツキとメイ、そして父親の3人で、母親のところにお見舞いに行きます。大部屋の病室の扉をサツキとメイが開けて中へ入っていきます。サツキは最初に「こんにちは」と入り口近くの人にきちんと挨拶をします。そして、きちんと入ってきた扉を閉めます。サツキは、周囲の人への心配りがきちんとできているのです。

 一方、メイは母親のベッドまで、タタタタっと小走りに駆け寄ります。そして、「お母さん!!」とベッドの上の母親に飛びつくのです。メイは自分の気持ちだけで動いているようです。サツキとメイは非常に対称的です。

 そして、サツキは「今日、田植え休みなの」とやっと母親に向けて声を発します。その日が田植え休みだということはサツキにはもちろん分かっていることです。おそらくメイにも分かっていることでしょう。そのことを知らない母親のために、サツキは説明したのです。サツキは入院している母親に久しぶりにあったわけです。だから、会えてうれしい気持ちや病気についての心配など、いろんな気持ちをいっぱいに抱えているはずです。しかし、サツキは自分自身の思いは脇の方へどけておいて、母親が疑問に思いそうなことに目を向け、そのことについて優先して説明しているのです。

 その後、サツキは、母親に耳打ちをしてこっそり何かを伝えます。ところで、誰に聞かれないようにしているのでしょうか? その言葉以外は普通にしゃべっていますから、同じ病室の人に迷惑を掛けないよう気を遣って耳打ちをしているのではないと思われます。そうすると、サツキと母親以外にはメイしかいません。サツキは、メイに聞かれないように母親に耳打ちをしているのです。

 耳打ちを聞いて、母親は少し驚いて「えっ! お化け屋敷!?」と言います。うれしそうな表情にも見えます。メイが「お化け屋敷好き?」と聞くと、母親は「もちろん。早く退院してお化けに会いたいわ。」と言うのです。そして、サツキが「よかったね、メイ。」とメイを気遣います。こういったやりとりから考えると、サツキは「お家がボロで、お化けが住んでるお化け屋敷みたいなの。メイはお母さんがお化け屋敷は嫌じゃないかって心配しているの。」などと、メイの心配をこっそりと母親に伝えたのではないかと想像されます。サツキは、メイの心配を解消し、メイと母親の関係をつなごうと心を砕いているようです。

 もちろんサツキも少しはメイと同じように、母親が新しい家を気に入ってくれるかどうかは心配しているでしょう。メイの心配はサツキの心配でもあるはずです。しかし、サツキはそれを自分の心配として母親にストレートに打ち明けることをしていません。サツキは自分のことは二の次にして、他の家族のことを優先させているのです。

 結局、サツキは母親に自分のことや自分の気持ちを何一つ言っていません。自分以外の人のことを優先させて、自分のことは二の次にしているのです。

 

気持ちをぶつけるサツキ

 今まで見てきたように、サツキは頑張りやでよい子です。自分のことは後回しにして、他の人のことに気を配るのです。しかし、サツキもごく普通の人間ですし、小学4年生の子どもです。怒ったり、泣いたりすることもあるのが自然です。

 サツキが、一番に気持ちをぶつけているのは、妹のメイです。母親を見舞いに行ったときに、メイは「お姉ちゃんすぐ怒るの。」と母親に言っています。サツキはメイを叱ったり、怒ったりすることも多いようです。

 例えば、メイが初めてトトロに出会った後に、サツキと父親がメイを探す場面です。サツキがメイの帽子を見つけて、そばにあった木の小さなトンネルに入っていきます。その奥は少し広くなっていて、そこにメイは横たわっています。サツキがメイに何度も呼びかけたり揺すったりすると、メイは「ンー」と声を出します。どうやらメイはぐっすり眠っているのです。サツキは少しホッとしたようですが、次の瞬間メイに向かって「メイ!! こら!! 起きろ!!」と大声で言います。やっと目を覚ましたメイに向かって、サツキは「こんなところで寝てちゃだめでしょ!!」と怒るのです。冷静に考えると、この場合、怒られるのは、父親のはずです。4歳の子どもに昼食も食べさせないで、ほったらかしにしておいたのですから。その父親は、やっとトンネルをくぐって、その後少ししてそこに現れます。でも、サツキは父親には怒ったりしないのです。

 また、サツキが自分の感情を爆発させるのもメイに対してです。母親の入院している病院から電報があり、サツキが父親と連絡を取って、母親の一時帰宅が延期されると分かります。その後、サツキがメイに「お母さん、体の具合が悪いんだって。だから今度帰ってくるの、のばすって。」と説明します。しかし、メイは「やだーっ!!」と聞き分けがありません。サツキが、重ねて言って聞かせますが、メイは「やだーっ!!」の一点張りです。ついにサツキは感情を爆発させ「メイのバカ!!」「もう知らないっ!!」と叫び、メイをほったらかしにして一人で行ってしまいます。

 カン太に対してもサツキは自分の感情をはっきりとぶつけています。上に書いたメイに感情をぶつける場面にはカン太が居合わせています。この場面はカン太に直接に感情をぶつけたわけではないのですが、感情的な自分をカン太の前ではっきりと見せています。

 他にも、引っ越しの初日におはぎをカン太が持ってきてくれる場面では、カン太が「ヤーイ! お前んち、おっ化け、やっしき~!!」とサツキをからかってきます。サツキは、走り去るカン太に思いっきりあっかんべぇをしています。お母さんのお見舞いに行くときにも、父親の自転車の後ろに乗って、カン太にあっかんべぇをします。なお、どちらの場面でも、サツキの父親には、サツキがカン太にあっかんべぇをする様子は見えていません。サツキは、カン太には遠慮したり気を遣ったりせずに自分をぶつけられるようです。

 また、サツキは、カン太のおばあちゃんには、自分が抱えていた大きな不安をぶつけています。母親が一時帰宅できないと分かって、サツキとメイはすっかり落ち込んでしまいます。サツキは洗濯物も取り込まずに、ただゴロッと畳の上に横になっているだけです。そこへ、カン太の祖母が、心配して様子を見に来てくれます。カン太の祖母が、お米をとぎながら「お母さん風邪だっていうんだから、次の土曜日には戻ってくるよ。」と言ってサツキを元気づけようとします。サツキは、「この前もそうだったの、ほんのちょっと入院するだけだって、風邪みたいなものだって…。」と話し始めます。サツキは、不安を抑えて冷静さを保って話そうとしているように見えます。しかし、「お母さん死んじゃったらどうしよう!」と叫ぶように言い、母親が死んでしまうかもしれないという不安が吹き出してきます。そして、その場に立ちつくして、くしゃくしゃに顔をゆがめて、小さな子どものように泣きじゃくるのです。カン太の祖母は、一生懸命に不安を和らげようとサツキをなぐさめるのです。

 以上のように、サツキは、元気で明るく、よく気がついて頑張っている、本当によい子なのですが、もちろん一人の人間です。感情的になって、自分が抱えている感情を他人にぶつけてしまうこともあるのです。

 しかし、サツキが感情的になったり、誰かに感情をぶつけてしまうのは、父親や母親がいない場面に限られています。母親には気を遣い、負担を掛けまいとしています。父親にも、文句さえ言わず、一所懸命に母親代わりに家事をこなしているのです。そして、自分が本当に苦しんでいる不安は、父親にも母親にも打ち明けようとしませんし、ぶつけることもできないようです。

 しかし、少し救いがあるのは、サツキのお母さんはそういうサツキのことを少し分かっていることです。そして、病室では、サツキのことをやさしくサポートしてくれているのです。

 

 

サツキとメイが、お母さんのいない寂しさや不安と上手く付き合っていくのは、なぜ?

 「となりのトトロ」のお話しでは、サツキとメイは、お母さんが入院している状況で、知らない土地に引っ越して来るところから話が始まります。母親が病気で入院しているということは、子どもにとっては、大きな不安だと思われます。しかも、知らない土地に引っ越してくるわけですから、子どもたちの不安は非常に大きいのではないかと、想像されます。

 でも、引っ越しの当日の様子を見ると、サツキやメイは元気いっぱいの感じで、表面的には心配や不安は感じられません。どうしてでしょうか? 実は、不安が大きいときに、かえって元気いっぱいのように振る舞ってしまうというのは、子どもたちに良くあることです。妙にハイテンションになってしまう感じです。サツキとメイは、状況から考えると、心の奥には大きな不安を抱えていると想像するのが自然でしょう。特にサツキは自分のことは後回しにして、メイや父親を助けてくれるしっかりした長女です。だからこそ、父親やメイに心配をかけないように、気丈に振る舞っていると考えられます。

 つまり子どもたちは表面的には元気いっぱいなのですが、心の底の方には、母親のいない寂しさや母親の病気に対する不安が潜んでいるのです。

 

オバケという存在

 そういった子どもたちの感じている寂しさや不安といったマイナスの感情は、ススワタリやトトロといった「オバケ」という形で表れてきたのだと捉えられます。例えば、家族が引っ越してきた家は、かなりの「ボロ」で、子どもたちは「オバケ屋敷」だと感じます。つまり、「オバケ屋敷」という形で、家庭に対する不安が建物としての「家」に映し出されている(投影されている)と考えることができるのです。また、その後のオバケの登場シーンを見ていくと、サツキまたはメイが、緊張や不安、寂しさを感じているようなシーンに登場してきます。この点からも、子どもの感じている不安や寂しさが「オバケ」というイメージとして現れていると言えるわけです。

 

 ところで、この物語には、何種類かの「オバケ」が登場してきます。登場する順に並べると、「ススワタリ(まっくろくろすけ)」→「小トトロ」→「中トトロ」→「大トトロ」→「猫バス」となります。まっ黒な固まりに、眼がついただけのススワタリから、何かの動物のようなトトロへ、そして、イスや窓・行き先表示があり、しかも足が12本もあって、かなり複雑な姿の猫バスへと変化しています。つまり、非常に原始的で未分化なイメージから、高度に分化し発達したイメージへと順に変化していると言えます。こんなふうに、オバケたちが複雑で大きくな存在に変化していくことから、子どもの心の中の不安や寂しさが少しずつ変化して複雑で大きなものになっていっているのだろうと考えられます。

 

オバケと仲良くなる

 子どもたち不安がイメージとなって現れたオバケは、初めは、ススワタリのように非常に漠然としていて捉えどころのない存在でした。そして、次第に、怖いけれどもどこかユーモラスで親しみを感じさせる姿に発達していきます。しかし、どこかのアニメやゲームのように、邪悪な魔物や恐怖の魔王などは決して登場してこないのです。オバケが不安の表現だとすると、邪悪な魔物や恐怖の魔王が現れてくるというのは、不安がどんどん手に負えないものになって、ついには、不安に飲み込まれそうになってしまっていると想像されます。しかし、トトロも猫バスもそうではありません。でも反対に、トトロや猫バスといったオバケが出てこなくなる、つまり、不安がなくなるわけでもありません。「となりのトトロ」は、そのどちらでもないのです。サツキやメイは、なんとオバケと仲良くなってしまうのです。これは、どう捉えたら良いのでしょうか?

 これは、不安が解消された(オバケが出なくなる)わけではないけれど、不安に呑み込まれてしまわず、上手に付き合っていった(オバケと仲良くなった)ということなのだと考えられます。では、サツキとメイはどうして不安と上手に付き合っていくことができたのでしょうか? 実は、その背景と言える出来事は、物語の中にきちんと描かれています。

 

父親の姿勢

 「サツキとメイ」がなぜ不安に飲み込まれてしまわなかったかについてのヒントは、一番最初に「オバケ」に出会ったシーンにあります。それは、サツキとメイが、新しい家に引っ越してきて初めて2階に上がって、ススワタリの群れが壁の割れ目に逃げ込むのを目撃したシーンです。ここでは、サツキは強い不安におそわれたように見えます。そして、あわてて窓を開けて、庭にいる父親に向かって「お父さーん! やっぱりこの家、何かいる!!」と叫びます。すると、父親は「そりゃすごいぞ、オバケ屋敷に住むのが、子どもの時から、お父さんの夢だったんだ!」と応えます。

 似たようなやり取りは、その他のシーンでもいくつか出てきます。例えば、新しい家にやってきた直後に、サツキが家の中にドングリが落ちているのを見つるシーンです。サツキが「あっ、ドングリ!?」と驚きの声をあげると、父親は「リスでもいるのかな?」と天井を見上げます。さらに、「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」と言葉を続けます。この父親は決して、「家の中にドングリが落ちているわけないだろう」とか、「引っ越しで忙しいんだから、そんなことは後、後!」などとはいわないのです。

 父親は、家の中にドングリが落ちていたという驚きを子どもと共有し、子どもの目線で天井を見上げ、さらに、「リスでも…」とイメージをふくらませて、楽しんでいます。父親が子どもたちの不安をサポートしつ、不安と上手く付き合っていく姿勢を見せてくれたのです。こういった父親の姿勢に支えられて、子どもたちは不安を感じつつも、新たな生活に向かっていくことができたのだと考えられます。

 

  その後のシーンでも、同じような父親の姿勢が感じられます。例えば、メイが庭先で遊んでいてトトロの所に迷い込んでしまって、トトロに出会った時もそうです。父親はそのメイの体験をバカにしたり否定したりせず、「森の精にであったんだよ」と肯定的に意味づけ、「これからどうぞよろしくお願いします」とまじめに挨拶までしています。オバケが見守ってくれているのだというイメージを大きく膨らましてくれたのは、父親の働きなのです。そして、子どもたちはオバケと仲良くなって、母親のいない寂しさや不安と上手く付き合っていくことができたのだと考えられます。

 

日立市教育研究所報に取り上げていただきました。

「りさーち」第275号(日立市教育研究所報)

11月19日(土)に、日立市教育研究所の研修会で「学校の欠席が多い子どもをサポートして成長を促す関わり方」というテーマでお話をさせていただきました。その時のことが、「りさーち」日立市教育研究所報 275 号に紹介されました。

 その一部を紹介します。

「不登校支援をどう考えるか、子どもの成長を促す関わり方のコツについて 講話をいただきました。 講話後、参加希望者によるミーティングを行いました。不登校問題に直面している参加者からは、現在の悩みやこれまでの対応、今後の支援の在り方などについて、次々と質問が出されました。半田先生は、現在の子どもや支援者の良い行動を確認しながら、これからの支援の方向性について具体的に助言 してくださいました。先の見えない不安や焦りを抱えている参加者にとって、目の前にいる子どもの対 応や支援の方法を考える貴重な時間となりました。」

 

 

http://www.city.hitachi.lg.jp/kyouiku/001/004/p010682_d/fil/275.pdf

 

 

 

日立市で研修会を担当します

日立市報「不登校に関する研修会」

 

11月19日に茨城県日立市で研修会を担当します。日立市報(2016年10月20日号)の12ページに掲載されましたので、情報を転載します。

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◇不登校に関する研修会

 

子どもが、「学校へ行きたくない」と言ってきた場合、どのように関わったらよいか。学校の欠席が多い子どもの成長を促すにどうすればよいか。子どもへの関わり方の工夫をいっしょに考えてみませんか。

 

時 11月19日(土)午後1時15分~4時15分   (午後1時受付開始)

場 ホリゾンかみね研修室

対 市内にお住まいで不登校問題に関心のある方

内 学校の欠席が多い子どもをサポートして成長を促す関わり方

  講師=半田一郎さん(茨城県カウンセリングアドバイザー)

申 11月9日(水)までに電話で教育研究所まで

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 http://www.city.hitachi.lg.jp/shisei/006/002/028/p055430.html

 

 

 

田村節子先生(学校心理士スーパーバイザー)の講演

学校心理士スーパーバイザー田村節子先生

学校心理士スーパーバイザーでの田村節子先生がつくば市で講演しますね。

つくば市民の方には、お勧めです。

 

以下、つくば市のホームページからです。

https://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14214/14667/020180.html

 

第3回 つくば市家庭教育講演会

 

子育てをサポートする力強いメッセージ!~乳幼児から思春期まで~

 

日時   10月30日(日曜日)9時50分~11時30分(受付9時30分から)

会場   つくば市役所 2階会議室201 

講師      田村 節子 先生(東京成徳大学大学院教授・筑波大学非常勤講師)

演題   「親と子が幸せになるXとYの法則~思春期に焦点をあてて~」

内容    子育てには迷いがつきものです。特に思春期なら尚更のこと・・。当日は事例をあげて「子どもとの向かい方のコツ」をわかりやすくお伝えします。

対象   つくば市在住,在勤,在学,在園の保護者 

定員   200名(希望者多数の場合抽選) 

保育あり 事前申込み必要

 

 ※保育希望の方は,インターネットからの申込みは出来ません。下記の申込み方法2を参考にし,各地交流センターまたは文化振興課まで直接お申込みください。

 

対象 生後8ヶ月から4歳児までが対象(10月30日現在)

保育定員 20人(応募多数の場合は抽選)       

             

 ※なお,保育の抽選にもれた方,上記の月齢対象者外,お子さんと同伴を希望される方は,会場内にお子様と一緒に入場できます。

 

申込期間   9月26日(月曜日)~10月7日(金曜日)必着

 

 

        

中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド

中高生からのライフ&セックス サバイバルガイド

中高生からのライフ&セックスサバイバルガイド」を読んでいます。いわゆる教科書的な内容、通り一遍の内容ではないですね。大変素晴らしい本だと思います。

 

ところで、9月1日に若者の自殺が多くなるからとういうことで、中高生の心のケアや自殺予防について、マスコミでも色々と取り上げていました。正直私は大変驚いたのです。というのは、昨年の8月の終わり頃から、9月1日が自殺の多い日だと言うことが広く知られるようになって、昨年の8月の終わり頃にも、若者の自殺や自殺予防が色々と取り上げられていました。だから、「今年は余り話題にならないだろう」と何となく思っていました。自殺予防は、その直前になって、色々と一生懸命になって予防しようとするだけでは、なかなか上手くいかないことは分かっているからです。「9月1日に自殺が多くなると、1年前から分かったから、1年間を通して予防につながるように動いているはずだから、8月になってから慌てて騒がなくてもきっとOKだよね」というふうに思っていました。だから、今年も去年と同じように、9月1日を目前にして、色々と大きく取り上げられていたので、ビックリしました。

 

このような本を、一年間を通して折に触れて取り上げたりしていけば、大人が子どものことを真剣に大切にしているんだと伝わって行って、それが自殺予防にもつながるんじゃないかなと、思ったりしました。中身的にも、知っているだけで救われるような子もいるのではないかと思います。すごく苦しんでいる子が読んでも、もしかしたら、自分も生き延びていけるかもしれないという希望を持つことができかもしれません。そんなことが伝わって行くホンダと思います。中学校の図書室や保健室にはこの本を置いてもらいたいなぁと思うのです。中学生が必要としている情報と知識です。

 

こういう本を読むと、本当に、テレビや学校から見えているのは、社会や人間の表面だけだなと、痛感します。人は多様で、そこが素晴らしいのですね。

 

ということを考えていると、昔のことを思い出しました。私がスクールカウンセラーとして駆け出しの頃、20年ぐらい前ですが、その頃には、昼休みなどの休み時間に相談室を開放して、誰でも息抜きやおしゃべりに来てもOKという活動をしていました。相談室には、学校の図書室から借りたマンガや本をいくつか置いてありました。その中に、性教育関係の本を数冊置いていたのです。その本は、「ティーンのからだ・こころ・愛(アーニ出版)」という本でした。人が余りいない時を見計らうようにして、何人かの生徒がやってきては、その本を読んでいっていました。

 

中学生と高校生、そして、大学生、その保護者の方に、お勧めします。

 

病人に傷つけられるのも看病のうち

内田樹さんの本はよく読むのですが、「困難な結婚」という、この本はこれから読みます。

 

パラパラとめくってみて、目について驚愕しつつ、納得した言葉を書き留めておきます。

「病人に傷つけられるのも看病のうち」(p192)

とのことです。

 

ああ、そうだ。と深く納得してしまいました。

 

「自分が病人になったときのことを考えれば分かると思いますけれど、病人というのは「わがままを言う」「文句を言う」「生産的なことを何もしない」「みんなに迷惑をかける」ことが「できる」ことによって治癒するわけです。」

 

「できる」ことは、ブリーフセラピーで言うリソースです。

 

 

 

田嶌誠一先生の研修会

田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」

日本学校心理学会の主催で、九州大学名誉教授の田嶌誠一先生の研修会が開かれます。

 

 田嶌誠一先生は、「壺イメージ療法」という一見、ちょっと変わった心理療法をご自身で開発されて実践しておられました。実は、一見変わった心理療法と書きましたが、中身は心理療法らしい心理療法だと思います。講談社現代新書から「イメージ体験の心理学 (講談社現代新書)」田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」 という分かりやすい解説本がでておりますので、お勧めします。

 

その後、児童養護施設での施設内の暴力に関して安全委員会方式というシステム作りを推奨されています。安全委員会方式については、「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応―続・現実に介入しつつ心に関わる」田嶌誠一「イメージ体験の心理学」と「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」という本で詳しく解説されています。

 

壺イメージ療法は、ミクロなレベルでの安心安全を確保するというアプローチで、安全委員会方式はマクロなレベルで安心安全を確保するというアプローチだと、捉えられます。ミクロから入ってマクロまで、安心安全を大切にしてこられた、田嶌誠一先生のお話が伺えるチャンスがあるということに、大変楽しみにしております。関東でお話しが聞けるのは、なかなかチャンスも少ないと思いますので、なおのこと、すごく楽しみな気持ちです。

 

学校心理士の人にも、学校心理士の資格取得を目指す人にも、スクールカウンセラーの人にも、学校の先生にも、本当にお勧めします。

予約や申し込みは、不要とのことです。当日に会場に行けば、3000円で参加できます。

 

日本学校心理学会のホームページ(http://schoolpsychology.jp/workshop/index.html)から、情報を転載します。

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「現実に介入しつつ心に関わる―多面的体験支援アプローチ」

 

講師:九州大学名誉教授

   田嶌 誠一 先生

日時:平成28年11月3日(木・祝)13:30~16:30(受付12:30~)

場所:筑波大学 東京キャンパス文京校舎 

東京メトロ丸の内線 茗荷谷駅下車  徒歩3分

参加費:会員…1,000円,非会員…3,000円

学生参加 可 会員…1,000円,非会員…2,000円

 

 「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!――映画『踊る大捜査線』の名シーンである。それをまねて言えば,「問題は面接室の中で起きてるんじゃない!生活の中で起きてるんだ!!」と訴えたい。学校現場のニーズを「汲み取る,引き出す,応える」ためには,心理士が心の内面に関わるという姿勢だけでは極めて不十分で,「現実に介入しつつ心に関わる」という姿勢とそれに基づく多面的アプローチが重要だと私は考えています。

 

※この研修会は学校心理士資格更新の際のポイント(B種)として申請中です。

※学校心理士のポイントを希望される方は、研修会の遅刻・早退は原則認められません。

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忘れ物対策。ADHDっぽい感じだった私からのお勧め。

 大人になってから気づいたのですが、自分自身少し(たぶん少しだと思います)、ADHDっぽい感じがあります(あと、聴覚過敏があります)。

 例えば、小さな頃から今でも、物の数を数えるのが不得意です。自分が不得意だから、みんなそうなんだと思っていました。

 並んでいる物を数えるときに、指が指している物よりも先に目と頭は進んでしまいます。だから、指が指している物が、5だったのか、6だったのか、7だったのか分からなくなってきます。ご飯を炊飯するときにお米をカップで計量するときもそうです。例えば、こんな感じです。「いーち、次は2だね、にーい、次は3だね、その次は4、さーん、次は5で、その次が6で、その次が7で、・・・・・」というふうに、頭の中で数字が、どんどん進んでしまいます。カップで計量しているのはそのスピードに追いつけないので、途中で分からなくなってしまいます。

 だから、数えるときは「いち、いち、いち、いち、いち」「に、に、に、に、に、に」と細かく、同じ数字を頭に思い浮かべながら数えていきます。そういうわけで、ADHDっぽい感じです。

 

 ところで、ADHDの子どもたちは忘れ物が多いですね。いくら厳しく叱っても、しつこく言っても、忘れ物はなかなか減らないと思います。ADHDは、頭の中にあることがどんどん切り替わったり、どんどん先に進んだりしてしまうわけなので、行動や現実が置き去りになってしまいます。忘れ物も、頭の中は次のこと、先のことを考えているので、置き忘れたり、ある事の準備の途中で違う物の準備を始めてしまったり、ということが起きるのだと思います。わざとやっているわけではなくて、自然とそうなってしまうわけなので、何度叱られてもなかなか変化しないと思います。良く忘れないようにメモをすることを勧められたりしますが、個人的にはメモは全く上手くいきません。メモするスピードが頭の中に追いつかないからです。だから、メモることがすごく面倒です。しかも、メモを見直すことなんてしません。しかも、メモを無くしてしまうことも非常に多いからです。

 

 さて、ではどうすれば良いでしょうか? 私のお勧めは、思い出すようにすることです。ADHDの特性を活かすのです。頭の中に一つのことを置いておくのではなくて、どんどん切り替わり、どんどん思いだすわけですね。思い出すことを自分の習慣にすれば、忘れていても、すぐに思い出して、そのことに取りかかることができます。それをやっているうちに、また別の活動に切り替わってしまいますが、また、別のチャンスに思い出して、そのことに取りかかれば良いのだと思います。

 

 だから、お子さんがADHDっぽくて、忘れ物が多い場合には、思い出したことをどんどんほめてあげると良いと思います。また、思い出すチャンスを沢山作って上げて、「今日は何だっけ?」とか「後何持って行けばいい?」などと質問してあげると良いと思います。それで思い出したら、「良く思い出すねぇ!さすが、思い出し名人!!」とほめてあげると良いかと思います。子どもが、自分で、思い出すように、子どもが自分で「今日は?」とか「あとは?」「明日は?」などと思い出すきっかけを持つことを習慣にできると良いですね。

 

 楽観的な期待ですが、思い出すことが上手になれば、学校の成績も伸びるかもしれません。テストで沢山のことを上手に思い出すことができれば、点数が上がるはずです。

 実は、思い出すというのは、意識的に思い出そうとしてもなかなか上手くいかないものです。自分は「思いだし名人だ」という思い込みが無意識の中で上手く作用すると、自然と色んな事を必要なときに思い出すようになるかもしれません。

 

 

 

子どもにカウンセリングを勧める方法

 お子様が、学校を休みがちになったとか、頭痛や腹痛といった身体症状が出ているけれども病院でストレスが原因ではないかといわれたとか、カウンセリングを受けさせたいと思ったりすることがあると思います。そういう時にどんなふうにお子様にカウンセリングを勧めたら良いか悩んでしまう方も多いかもしれません。

 カウンセリングは心理的に問題がある人が受けるものではありません。そうではなく、自分で自分の問題を解決しよういう前向きな力を持っている人が活用するものです。実は、積極的、肯定的なものなのです。

 しかし、日本の世間一般ではカウンセリングは、問題がある人が受けるものだと思われているかもしれません。お子様も、そんなふうに思っているかもしれません。だからこそ、カウンセリングに勧め方には工夫が必要です。

 一番良くない勧め方はだまして連れて行くという方法です。その時は、カウンセリングを受けても、2回目以降にカウンセリングを受ける可能性が極めて低くなります。それよりも、家族に対する不信感が大きくなってしまって、家族関係が険悪になってしまうと言う可能性まであります。

 

 また、良くない例としては、「この先心配だからカウンセリングを受けてみよう」という勧め方です。この言い方は、言外に「あなたが問題だ」というニュアンスが含まれています。

 

 お勧めの勧め方は、「あなたは、自分できちんと考えるタイプだから、そういう人はカウンセリングが向いているらしいよ。カウンセリングに行くと自分で考えるヒントが分かるから、それを参考に自分で色々考えるのが良いみたいだよ。」というのが良いと思います。

 また、回数や時間を限定してみても良いかもしれません。「1回受けてみたら良いと思うけど。1回受けてみて、良かったら続けたら良いし、あわないなぁと思ったらやめれば良いんだよ。」などと、子どもに勧めてみるのが良いと思います。1回でもカウンセラーに会って話してみることができていれば、必要なときにカウンセラーを活用することもできるかもしれません。

 極端な例ですが、場合によっては、カウンセラーに話したり相談したりしなくても構わないと保障することもひとつの方法です。「話したり相談したりしなくても構わないから、1回会ってみて、信頼できそうな人だったら、数回行ってみたら」と勧めてみることもひとつです。ただし、カウンセラーであっても話さない子どもと良い関係を作るのは難しいので、最初の関係づくりで苦労してしまうかもしれません。事前に、「子どもは来るのに抵抗があったから、話さなくても良いから、一回会ってみようと言って連れてきた」とカウンセラーに伝えておくことが必要だと思います。

 

 

 

 

 

切り替えができたらほめよう

昔は気持ちを切り替えなくて良かった

 20年前の子ども達はも、現在の子ども達も、楽しいもの面白いものが好きなことには変わりがありません。子どもは、いつまでもテレビを見ていたいし、いつまでも遊んでいたいものです。昔も今も変わりはありません。でも、昔の子ども達は、いつまでもテレビを見ていたり、いつまでも遊んでばかりいるということは少なかったと思います。それは、子ども達が自分を上手にコントロールできたていたわけではありません。

 例えば、どんなにテレビアニメが好きでも、テレビの子ども番組は30分で終わってしまいます。子どもがどんなにわがままでも、自己コントロールができなくても、いつまでもその番組を見続けることはできないのです。自分で切り替えをする必要そのものがありません。昔の子どもの遊びは、そとで友達と遊ぶことが一般的でした。そとで遊んでいても、日が暮れれば、遊びを続けることができません。あたりは真っ暗になって、嫌でも遊びをやめて家に帰らざるを得ないでしょう。やっぱり、切り替えることなんか、全く必要なかったのです。

 

現代社会は切り替えが必要

 最近の子ども達の遊びは昔と全く違っています。子ども達は、例えば、子ども達は昔よりもテレビを見なくなりました。もちろんテレビも見ますが、それよりも、youtubeで動画を見ている子ども達が多いと思います。それから、遊びと言えば、ゲームです。自分専用の携帯ゲーム機を持っていて、それで遊ぶことが多いと思います。

 例えば、youtubeで動画を見ると、右側に関連動画がずらーっと並んでいます。一本一本の動画は短いことが多いですが、そのずらーっと並んだ関連動画は際限なく並んでいて、いくらでも長時間見続けることができます。ちょっとクリックすればいくらでも動画を見ることができるわけです。

 つまり、自然に番組が終わるわけではないので、動画を見るのをやめるには、自分で自分をコントロールして切り替える力が必要になるわけです。

 ゲームをやめる時も同じです、いつまでもゲームは続けられます。どこかでゲームをやめるには、自分で自分をコントロールして切り替えをしなくてはならないのです。

 子ども達の事情について書いてきましたが、大人も全く同じ状況におかれています。上手に切り替えができる人は、自分の時間を上手く活用して色々な活動を楽 しむことができます。しかし、切り替えが上手くできないと、あることに時間をとられてしまって、生活が上手く回らなくなってしまいがちです。

 実は、現代社会を生き抜いていくためには、切り替える力が絶対に必要なのですが、そのことはあまり注目されていないのです。

 

切り替えができたらほめてあげましょう

 大人になっても、切り替える力が必要ですから、子どものうちから、その力を身につけられるように、上手く育ててあげたいものです。切り替えができたら、そこで上手くほめてあげることが大切です。

 例えば、今の遊びをやめて次の遊びに移った時や、「切り替えができて偉いね」などとほめてあげるのです。また、切り替えるチャンスを作ってあげることも大切です。遊びを無理矢理にやめさせるのでは、切り替える力はつきません。上手に次の活動に誘ってあげて、切り替える力を自分が使うチャンスを作ります。例えば、「おやつだから、ゲームをやめて一緒に食べよう」と誘ってあげます。それで少し待ってあげて、自分からゲームをやめておやつを食べに来たら、「切り替えができて偉いね。」とほめてあげるのです。

 

時間の感覚を育てる

時間の感覚がない子ども達 

 最近、時間の感覚がない子ども達が増えているようです。例えば、夕方に「いま何時?」と聞いてみると、「1時ぐらいかな?」などと見当違いの答えが返ってくるようです。こういう状態だと、急ぐようにいくら言っても、時間に合わせて行動することが難しいと思われます。例えば、あと10分で出かけなくてはいけないけど、その10分の間隔が身体の感覚として分かっていないと、その時間に合わせて行動することができないわけですね。そういう子ども達に、しつけの問題として一生懸命言い聞かせても、時間に合わせて行動できるようにはならないですね。

 

時計を見ずに直感で答える

 時間の感覚がきちんと持てていない子ども達でも、時間感覚を育てていくのは、意外と簡単なことです。時間を聞いてあげるのです。聞いたときに、時計を見て答えるのではなくて、直感や想像で、いまの時間を当てるのです。ちょっとしたクイズや遊びのように楽しむことがコツですね。子どもに聞くだけではなくて、大人も一緒に当てるようにしたら楽しいですね。やり始めた最初の頃はなかなか当たりませんが、子どもの成長は早いので、意外とすぐに当たるようになってきます。

ちょっとした時にできますので、お試し下さい。

 

では、このブログを読んでいる皆さん

「いま何時?」 直感でどうぞ

 

眼鏡を新しくしました。

 パソコンで仕事をすることが多いのですが、最近すごく目が疲れる漢字でした。また、眼鏡がすっかり古くなってしまっていたので、新しい眼鏡を作ることにしました。

 眼鏡ショップに行って、色々フレームを見て好みのフレームを選んでいると、店員さんが話しかけてきました。「近くが見えづらくて疲れるんです」と話すと、「まず視力を測定してみましょう」と促されて、早速視力検査をしました。その後、どういうレンズにするを話し合っていったのですが、私が再度「近くが見えづらい」ということを話すと、店員さんから「遠近両用というわけではないんですが、近くが見えやすいようにしてあるレンズがあるんで、これをお勧めしています」と勧められました。親しみやすいような「ちからく」というキャッチフレーズがつけられていて、レンズの名称は「アイリラックス」と格好良い名前がつけられいました。店員さんはやけに「遠近両用とは違うんですけど」と強調していました。でも、私的には、遠近両用で構わないし、このレンズは結局遠近両用レンズだろうと思うわけです。

 

 店員が違いを強調するわけですから、「遠近両用」には抵抗を感じる人も多いのだろうと想像しました。昔の遠近両用レンズは、性能的に一長一短が会って使いづらかったりしたのかもしれませんね。それを知っている人は、「遠近両用」と聞くと抵抗をかじるのかもしれません。また、自分の意識的には若さを保っている人の場合、「遠近両用」といわれると,年を取ってしまったような印象を持ってしまうので、抵抗を感じるのかもしれません。

 

 そういった抵抗感を減らすのには、新しいコンセプトの眼鏡は役に立つだろうなと思います。結果的に、サービスが必要な人に適切なサービスが提供されているという良い結果に至っているとも思えます。

 

 カウンセリングの業界や教育の業界でも、こういうことは大切だと思います。過去からの実践や研究の積み重ねの上に今の実践があるのですが、それを新しいコンセプトで子どもや保護者に伝えていくということを意識的にやっていかなくてはならないですね。

  

沖田×華さんの講演会に行ってきました

茨城県立友部特別支援学校主催の沖田×華さんの公演会に行きました。講演のタイトルは「アスペルガーで、漫画家で」というものでした。

会場に着くと、駐車場の誘導の係の人が何人もいらっしゃり、ちょっと物々しい雰囲気でした。会場では500人入るホールがほぼ満席でした。おそらく大半が学校関係者で、保護者の方も多いようです。

沖田×華さんの話はなかなか面白かったです。特に、視覚や聴覚についての話が興味深かったですね。横棒の多い漢字(例:嬢・講)では、その横棒1個1個の近くに、(本来はない)赤い線が見えるそうです。それを図示してくれていました。そのため、そういう漢字はいくらタブレットなどで拡大しても赤い線は消えないので、読みにくさは変わらないということでした。

 

沖田×華さんの講演の後に、茨城大学の金丸隆太先生を交えて、座談会が開かれました。座談会で、評価のことに関して何度か触れていました。。座談会ではあまり触れられられませんでしたが、私は人が感じている世界の多様性こそが重要なことではないかと感じました。一人一人の感じている世界が違っているからこそ、そこにおもしろさや価値が生じてくるのだと思います。しかし、その多様性を尊重することそのものがかなり難しいことだとも思いました。

ちなみに、沖田×華さんの著作は沢山ありますが、「ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私  」のことが何度か出てきました。

 

 講演会が終わって外へ出てみると、土砂降りでした。でも、雨はすぐに上がって、帰りの車の中からは大きな虹が見えました。沖田×華さんの講演を聴いた帰りでしたので、余計に虹に出会えたことが、感激でした。

 講演のタイトルは「アスペルガーで、漫画家で」というタイトルでしたが、アスペルガー症候群という概念は、最近では自閉症スペクトラム障害という概念に包括されています。そして、自閉症スペクトラム障害という概念の方がよく使われるようになってきました。ところで、自閉症スペクトラム障害の「スペクトラム」は、虹という意味です。「スペクトラム」には「いろんな色があって、でもそれはつながっている」という意味が込められているのだそうです。多様性があるから、虹は美しいのです。

私たち人間も、もともと多様な存在なのだとあらためて思います。