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楽しみな映画 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

原作漫画を読みましたが、大変、素晴らしい作品でした。

映画も大変期待しています。

 

 主人公の志乃は、しゃべろうとすると、言葉が詰まってしまい、うまく発声できないという状態で苦しんでいます。カウンセラーとして考えると、吃音という症状だと言ってもよいと思います。でも、原作の中では吃音という言葉は使われていません。映画の中でも、使われていないようです。そこに、原作者の思いが込められているとのことです。そのことが公式サイトに解説されています。

 

以下、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」公式サイトからの引用

 難発の吃音で、特に母音からの発音が苦手という志乃の設定は、原作者・押見修造の実体験をもとに描かれた。リアリティのある吃音描写、そして傷つきながらも自らと向き合い前に進もうとする志乃の姿は、当事者たちからも広く支持されている。

一方で、思春期の葛藤を描いた本作について、“誰にでも当てはまる物語になれば”という原作者の想いから、作品内では意図的に〈吃音〉という言葉は一切使われていない。その意志に、湯浅弘章監督も強く賛同。映画化にあたっても〈吃音〉という言葉は一切使用していない。

 

この漫画では、本編の中では「吃音」とか「どもり」という言葉を使いませんでした。それは、ただの「吃音漫画」にしたくなかったからです。

とても個人的でありながら、誰にでも当てはまる物語になればいいな、と思って描きました。

 ――押見修造 (漫画 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」〈太田出版〉あとがきより)

「言葉をしゃべろうとすると、声が詰まってしまい、うまく発声できない」という状態を一つの切り口として、特定の疾患や障害を持つ人だけのテーマというとらえ方ではなく、すべての人に共通するテーマを描こうとしているのだと思います。

 

一人一人の個別性・独自性を深く描くことができたら、そこにすべての人に共通する「誰にでも当てはまる物語」が描かれてくるのだと思います。映画が、「誰にでも当てはまる物語」をとして成功しているかどうかはわかりません。そこに挑戦しようとしたのだということ、そのものが大切なのだと思います。

 

 その障害や疾患を持つ人のその苦しみや悲しみは、簡単にわかるわけではありません。しかし、私たちは、一人一人がそれぞれの痛みを抱えつつ生きています。症状や疾患は違うけれども、私たちの心の中にある苦しみや悲しみは共通したものがあるのかもしれません。

 

 改めて、「あなたと私は、違っているけれども、何故か、伝わってくる、響いてくる」というつながりを大切にしたいと思いました。

 

7月14日(土)から公開だということです。

夏休み、友達と、家族と一緒に見てほしい映画です。

 

 

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』公式サイト

 

 

映画と原作漫画は、ラストシーンが違っているようです。映画を見た後で、ぜひ、原作漫画も読んでみてください。原作漫画のラストシーンも味わいがあります。

 

原作漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない