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日立市で研修会を担当しました。

 2018年度が始まってすぐに、日立市の教育相談員さんたちの研修会の講師に呼んでいただきました。日立市は、自宅からは直線距離で100Km以上離れているのですが、2年に1度ぐらいの頻度で呼んで下さっております。4回目ぐらいの、日立市訪問となりました。今回は、カウンセリングの基礎基本についてという先方の要望に応えて、「話を聴く」ことをメインの内容として話をしてきました。

 ミニ事例について話し合ってもらったり、ビデオを見てもらったりして、話を聴くことの重要さについて考えてもらえるように工夫してみました。

 

 言葉というものは、物事を考える道具として使われていますし、コミュニケーションの道具としても使われています。言葉はどちらの役割が本来の役割なのでしょうか? 多分言葉は、音声(鳴き声)から生じて、発展してきたものだと思われます。鳴き声について考えるために、身近なところで、犬を想像してみたいと思います。散歩中の犬が他の犬に出会ったときなどは、相互に吠え合ったりしますし、じゃれ合っているときにも、色々な鳴き方でやりとりをしています。つまり、犬は鳴き声をコミュニケーションの道具として使っているのです。もしかしたら、犬も物事を考えているかもしれませんが、鳴き声を使って物事を考えているでしょうか? 犬の心の中は想像できないのですが、多分、鳴き声を使って物事を考えているということは、なさそうです。また、別の例で考えてみたいと思います。人間の赤ちゃんも、乳児の頃にまだ言葉がしゃべれないときから、色々な声を出してコミュニケーションを行っています。これを喃語といいます。身近な大人が、赤ちゃんの声を聞き分けて、それに応えて、コミュニケーションを取ったりしていると思います。しかし、この段階の赤ちゃんは、まだまだ物事を考えということはできていないと思われます。つまり、赤ちゃんは、喃語をコミュニケーションの道具として使っていますが、思考の道具としては使っていないと思われます。以上のように考えていくと、言葉は、本来コミュニケーションの道具であって、思考の道具ではなかったと思われます。

 

 話は、それますが、私はカウンセリングをして人の話を聴いていて、自分なりに実感したことがいくつかあります。その一つが、「人は自分だけでは十分に考えられない」ということです。クライエントとして相談に来ている人は、自分自身の悩みのことに自分が一番考えていることが大半だと思います。しかし、自分が一番考えていても、なかなか心の中が整理できずに、考えがまとまらなかったり、自分が何を求めているのか、自分が何に困っているのか分からない、などという事が多いのです。カウンセラーは、そういった事に対して、アドバイスをするのではなく、話を聴かせていただくわけです。クライエントさんが話をするプロセスの中で、自分で色々と考えが深まったり、何かに気づきを得られたりするということが生じてきます。つまり、もともと自分(クライエントさん)で色々考えているはずなのに、人に話をするだけで、自分で考えているよりも的確に考えることができるのです。こういったことをカウンセラーとして活動する中で、感じてきました。こういう体験から、私は、「人はひとりでは考えることも難しいようにできているんだなぁ」と思ってきました。

 

 ここで、話は「言葉はそもそもコミュニケーションの道具である」ということとつながります。考えるときに、コミュニケーションの道具である言葉を使っているわけですから、言葉を使ってコミュニケーションを行って、コミュニケーションの中で考えて行くということが、自然なことなのだろうということです。

 

 結論は単純ですが、私にとっては、ハッキリした実感を持ってこんなふうに考えをまとめることができました。

 カウンセリングという営みは、太古の昔から、人と人がコミュニケーションを通して考えてきたということと基本的に同じなのだと思います。カウンセラーが何かを教えることが大切なのではなく、聴くことが大切なのです。

 そして、カウンセラー自身も誰かに自分の話を聴いてもらうことが大切なのです。自分だけで実践を完結させてしまうことは、自分の実践について十分に考えることができていないということなのだと思います。自分の実践について、同僚に話したり、スーパービジョンを受けたり、ケースカンファレンスをもったりすることが、必要なのです。

 

  日立市の研修では、こんな話をして、聴くことの大切さと、自分が聴いてもらうことの大切さを投げかけてきました。