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第13回私設心理相談領域研修会で学んで来ました

日本臨床心理士会主催による定例研修会Ⅰ(東京)の「私設心理相談領域研修会」に参加してきました(2019年10月6日)。今回のテーマは、「私設心理相談における子どもの心理支援と連携・協働」というものでした。

子育てカウンセリング・リソースポートとしては、この研修会のテーマは私たちの活動領域そのものなので参加しないわけにはいかないというところです。

 

午前の講演と午後のシンポジウムで、私設心理相談領域で活動している臨床心理士5名のお話を聞くことができました。研修会の内容そのものについては、触れられないのですが、現場の実践の具体的なお話を色々と聞くことができて大変有意義でした。

 

お話を聞いて、「連携」について色々と考えるきっかけとなりました。心理臨床、心理療法、カウンセリング、など様々な呼び方がありますが、心理臨床は、密室で1対1で行われることが基本です。しかし、クライエントの利益を目指して、様々な機関と連携することも必要な場合があります。研修会では、私設だからこそ、病院や公的機関にはできない柔軟な対応が可能ですし、柔軟に活動していかなくてはならないというお話もありました。

 

ところで、連携では、多職種が協力してクライエントの利益を目指していくことが大切です。連携というのは、カウンセラーやセラピストの側から見ると、まず心理臨床(心理療法・カウンセリング)があって、その枠組みを超えて活動することだと捉えられます。しかし、心理臨床の外側から考えると、人の人生そのものは多くの人が関わり合うことが自然です。色々な人が自由に関わり合って、その中で子どもが成長したり、人が癒やされたり、(反対に傷つけられたり)しているのです。一人の人生の中では、心理臨床は多くの人の関わり合いの小さな一つに過ぎないと言えると思います。連携してもしなくても、心理臨床のクライエント(利用者)は、多くの人と関わり合いながら生きているのです。連携してもしなくても、すでに連携と同じことが起きていると考えても良いかもしれません。そういう当たり前のことを前提として心理臨床活動を行っていくことが大切なのだと感じました。

 

ここで、思い出したのですが、神田橋條治先生が漢方薬をたとえとしてお話しされていたことです。

「神田橋條治著作集 発想の航跡2」(神田橋條治 岩崎学術出版社)p336

(前略)そうすると思いつくのは漢方だよ、漢方なんてのはダーティでしょう。それに漢方って面白いんだよ。五苓散という利尿剤がある。それを飲ますと、むくみのある人は小便がどんどん出て、むくみが取れる。西洋の利尿剤だと、ずっとそのまま飲ましておけば、体が干からびる。小便が出て、かさかさになる。漢方はそんなことないのよ。いっくら飲ましても、一定量尿が出てしまえば後は効かない。もっとすごいのはね、血圧が上がってるから飲ましてると下がってきて、下がりすぎるかと思ったらまたちょっと上がったりして、ちょうどいいようにするの。漢方にそんな威力があるわけではなくて、漢方は雑多なものが、いろいろごちゃごちゃ混ざってる。それを投与していると、生体がいいとこどりで、自分の役に立ちそうなところだけ効果をとって、よくなっているに違いないのよ。そうすると、心の治療とか、ある環境の設定とか、何かできるだけその生体が行きたがっている方向に、こちらが添って援助してみようとかいうやつは、漢方医療的治療になるんじゃないか。(中略)

 それから、できるだけ雑多なものがいいんだとしたら、いちばん雑多なのは何だろうな、畑仕事とか山仕事とか、あんなのがいちばん雑多かな。まあ、分からんけど、できるだけ何か目的がいい加減なような、あ、遊ぶとかそうだよな。そうすると、描画というものの中にある遊び性というものが非常に治療に役だっているんだとすると、描画療法がきちんとしたデータが出るようなものにならないことを祈るや切、というようなことにもなるわけ。だいたいそれで今日話そうと思っていたことは終わりました。(後略)

 

連携もこんなふうに漢方薬のように、様々な要素が混ざり合っていて、クライエントが「いいとこ取りで、自分の役に立ちそうな所だけ効果を取って、よくなっている」と素晴らしいのではないかと思いました。

さらに、私の連想はオープンダイアローグにつながっていきます(オープンダイアローグは、研修会のシンポジストでも登壇者のお一人も話題にしていました)。オープンダイアローグでは、複数の支援者とクライエントが対等な関係でいることが非常に大切にされます。そして、全ての参加者の意見が同等に大切にされ、それは「ポリフォニー」という言葉で表現されています。

 

連携の理想型は、オープンダイアローグのようにクライエントと多職種が対等な立場で、それぞれの意見や考えが大切にされるという関係が保たれることではないかと思います。まるで漢方薬が働くように、クライエント自身が自分に利用可能なものを自然と取り入れていき、心の安定や成長につながっていくというものではないかと思いました。

 

 連携が行われていないときでも、既にクライエントは、多くの人の関わり合いの中で様々な人から影響を受けて生きているということが現実です。多くの人の関わり合いの中で様々な人から影響を受けて生きているということは、自然発生的な見えざる連携だと考えても良いと思います。常に、自然発生的な見えざる連携を念頭に置いて、個人心理臨床を行っていくことが求められると思います。