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サツキとメイが、お母さんのいない寂しさや不安と上手く付き合っていくのは、なぜ?

 「となりのトトロ」のお話しでは、サツキとメイは、お母さんが入院している状況で、知らない土地に引っ越して来るところから話が始まります。母親が病気で入院しているということは、子どもにとっては、大きな不安だと思われます。しかも、知らない土地に引っ越してくるわけですから、子どもたちの不安は非常に大きいのではないかと、想像されます。

 でも、引っ越しの当日の様子を見ると、サツキやメイは元気いっぱいの感じで、表面的には心配や不安は感じられません。どうしてでしょうか? 実は、不安が大きいときに、かえって元気いっぱいのように振る舞ってしまうというのは、子どもたちに良くあることです。妙にハイテンションになってしまう感じです。サツキとメイは、状況から考えると、心の奥には大きな不安を抱えていると想像するのが自然でしょう。特にサツキは自分のことは後回しにして、メイや父親を助けてくれるしっかりした長女です。だからこそ、父親やメイに心配をかけないように、気丈に振る舞っていると考えられます。

 

 つまり子どもたちは表面的には元気いっぱいなのですが、心の底の方には、母親のいない寂しさや母親の病気に対する不安が潜んでいるのです。

母親とサツキとメイ

トトロたちオバケの存在

 

 そういった子どもたちの感じている寂しさや不安といったマイナスの感情は、ススワタリやトトロといった「オバケ」という形で表れてきたのだと捉えられます。例えば、家族が引っ越してきた家は、かなりの「ボロ」で、子どもたちは「オバケ屋敷」だと感じます。つまり、「オバケ屋敷」という形で、家庭に対する不安が建物としての「家」に映し出されている(投影されている)と考えることができるのです。また、その後のオバケの登場シーンを見ていくと、サツキまたはメイが、緊張や不安、寂しさを感じているようなシーンに登場してきます。この点からも、子どもの感じている不安や寂しさが「オバケ」というイメージとして現れていると言えるわけです。

 

 ところで、この物語には、何種類かの「オバケ」が登場してきます。登場する順に並べると、「ススワタリ(まっくろくろすけ)」→「小トトロ」→「中トトロ」→「大トトロ」→「猫バス」となります。まっ黒な固まりに、眼がついただけのススワタリから、何かの動物のようなトトロへ、そして、イスや窓・行き先表示があり、しかも足が12本もあって、かなり複雑な姿の猫バスへと変化しています。つまり、非常に原始的で未分化なイメージから、高度に分化し発達したイメージへと順に変化していると言えます。こんなふうに、オバケたちが複雑で大きくな存在に変化していくことから、子どもの心の中の不安や寂しさが少しずつ変化して複雑で大きなものになっていっているのだろうと考えられます。

 

トトロたちオバケと仲良くなる

 

子どもたち不安がイメージとなって現れたオバケは、初めは、ススワタリのように非常に漠然としていて捉えどころのない存在でした。そして、次第に、怖いけれどもどこかユーモラスで親しみを感じさせる姿に発達していきます。しかし、どこかのアニメやゲームのように、邪悪な魔物や恐怖の魔王などは決して登場してこないのです。オバケが不安の表現だとすると、邪悪な魔物や恐怖の魔王が現れてくるというのは、不安がどんどん手に負えないものになって、ついには、不安に飲み込まれそうになってしまっていると想像されます。しかし、トトロも猫バスもそうではありません。でも反対に、トトロや猫バスといったオバケが出てこなくなる、つまり、不安がなくなるわけでもありません。「となりのトトロ」は、そのどちらでもないのです。サツキやメイは、なんとオバケと仲良くなってしまうのです。これは、どう捉えたら良いのでしょうか?

 これは、不安が解消された(オバケが出なくなる)わけではないけれど、不安に呑み込まれてしまわず、上手に付き合っていった(オバケと仲良くなった)ということなのだと考えられます。では、サツキとメイはどうして不安と上手に付き合っていくことができたのでしょうか? 実は、その背景と言える出来事は、物語の中にきちんと描かれています。

 

 

トトロとメイ

父親の姿勢があったから

 「サツキとメイ」がなぜ不安に飲み込まれてしまわなかったかについてのヒントは、一番最初に「オバケ」に出会ったシーンにあります。それは、サツキとメイが、新しい家に引っ越してきて初めて2階に上がって、ススワタリの群れが壁の割れ目に逃げ込むのを目撃したシーンです。ここでは、サツキは強い不安におそわれたように見えます。そして、あわてて窓を開けて、庭にいる父親に向かって「お父さーん! やっぱりこの家、何かいる!!」と叫びます。すると、父親は「そりゃすごいぞ、オバケ屋敷に住むのが、子どもの時から、お父さんの夢だったんだ!」と応えます。

 

 似たようなやり取りは、その他のシーンでもいくつか出てきます。例えば、新しい家にやってきた直後に、サツキが家の中にドングリが落ちているのを見つるシーンです。サツキが「あっ、ドングリ!?」と驚きの声をあげると、父親は「リスでもいるのかな?」と天井を見上げます。さらに、「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」と言葉を続けます。この父親は決して、「家の中にドングリが落ちているわけないだろう」とか、「引っ越しで忙しいんだから、そんなことは後、後!」などとはいわないのです。

 

 父親は、家の中にドングリが落ちていたという驚きを子どもと共有し、子どもの目線で天井を見上げ、さらに、「リスでも…」とイメージをふくらませて、楽しんでいます。父親が子どもたちの不安をサポートしつ、不安と上手く付き合っていく姿勢を見せてくれたのです。こういった父親の姿勢に支えられて、子どもたちは不安を感じつつも、新たな生活に向かっていくことができたのだと考えられます。

 

  その後のシーンでも、同じような父親の姿勢が感じられます。例えば、メイが庭先で遊んでいてトトロの所に迷い込んでしまって、トトロに出会った時もそうです。父親はそのメイの体験をバカにしたり否定したりせず、「森の精にであったんだよ」と肯定的に意味づけ、「これからどうぞよろしくお願いします」とまじめに挨拶までしています。オバケが見守ってくれているのだというイメージを大きく膨らましてくれたのは、父親の働きなのです。そして、子どもたちはオバケと仲良くなって、母親のいない寂しさや不安と上手く付き合っていくことができたのだと考えられます。

 

 

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画像はスタジオジブリからお借りしました