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「カオナシ」について考える 4

「カオナシ」の成長

 アイデンティティの問題を抱え、「ともに眺める関係」を持つことができないという状況にいるカオナシも映画の後半では、成長していける可能性が描かれています。そのきっかけを作ったのは主人公の千尋です。それは、カオナシを湯屋から連れ出したことです。

 千尋は、ハクを助けるために銭婆婆のところへ行こうとします。そのときに、カオナシは千尋の後を追いかけてついてきてしまいます。リンは心配しますが、千尋は「あの人湯屋にいるからいけないの。あそこを出た方がいいんだよ。」と言ってカオナシを連れて行ってしまいます。銭婆婆の所へ連れて行こうとしたのではなく、とりあえず、湯屋から離れた方がよいと、千尋は考えたようです。このことは、カオナシに対する的確なサポートではないかと考えられます。

 

 カオナシは、自分がつくった偽物の砂金を利用し、湯屋では何でも自分の思い通りにして過ごしていました。カオナシとって湯屋は制限や限界がほとんどない環境となっていました。制限や限界がはっきりしない環境に置かれると、どんな人でも、心が不安定になりが心の問題が顕在化しやすくなります。そのような環境では、心が暴走しやすいのです。

 

 子どもへの心理的な援助においても、感情的な混乱が強い子どもの場合には、制限や限界が明確な環境を用意することで、心理的な安定を図ることがあります。例えば、情緒的な未熟さから問題行動や犯罪を犯してしまう少年たちにとっては、児童自立支援施設や少年院のような通常の生活よりは制限がはっきりしている場所で生活することそのものが、心理的なサポートになります。また、発達障害の子どもたちにとっては、「構造化」が重要だと言われています。明確なルールや時間の枠組みが設けてあることによって、どうすれば良いかハッキリわかるように環境を整えるのです。その方が、落ち着いて過ごすことができるのです。これも、制限や限界の明確化によるサポートの一例です。

 

 千尋は、カオナシに明確な制限や限界を示したわけではありません。しかし、湯屋という制限や限界が乏しい環境からカオナシを連れ出したということは、カオナシにとって的確なサポートになっていると考えられます。

 

 

 

 千尋はハクを助けるために、銭婆婆の所に行きますが、カオナシはそれに付いていきます。そこでカオナシは、銭婆婆に「手伝ってくれるかい」と促されて、糸を紡いだり、編み物を編んだりします。あるシーンでは、カオナシが両手に編み棒を持って何かを編んでいます。その横から銭婆婆が、カオナシの編んでいる場所を指さして「そこをくぐらせて…。そう2回続けるの。」と教えています。

 

 これがまさに「ともに眺める関係」(『「カオナシ」について考える 2』をご参照ください)なのです。人と一緒に、同じ活動に取り組む関係で、全ての社会的な関係の基盤となる関係です。この関係をしっかり保つことができなければ、学校で勉強をしたり、社会に出て仕事に就いたりすることが困難だと予想されます。

 

 私の出会う子どもたちの中には、「ともに眺める関係」をしっかり保つことが難しい子どもたちが多いように感じます。よくあるのは、好きか嫌いかの関係(これは「見つめ合う関係」です)に、陥ってしまう場合です。例えば、友達とトランプをする(これは「ともに眺める関係」です)時に、隣にいる友達に不利なカードを出すことができなくて、トランプすることそのものを避けてしまうことがあります。話を聴いてみると、相手に嫌われたくないという気持ちが働いているようです。相手に好かれるか、嫌われるかを最も重視する関係というのは、まさに「見つめ合う関係」なのです。

 

 一方、しっかりとした「ともに眺める関係」を保つことができれば、その関係の中で子どもたちは成長していくのです。人と一緒に活動する中で、相手と一緒に喜んだり悲しんだりして、感情体験をともにすることができます。これが、他者への共感性の基盤となっているのです。また、一緒に活動する中で、相手の意図を感じたり、理解することも発達していくのです。

 

 カウンセリングも一緒に活動すること(ともに眺める関係)を通して行われます。例えば、不登校の子どもとのカウンセリングで一緒に将棋をした事例が報告されています(山下,1994)。悩みや家族・学校のことなどについては、ほとんど話し合うことはなかったとのことです。そして、毎回、将棋を続けているうちに、学校へ登校するようになったとのことです。

 

 一方、毎日の生活の中からは、「ともに眺める関係」がどんどん失われいる現状があるようです。例えば、個食(孤食)と呼ばれる現象があります。個食とは「家族が違う時間に1人ひとり食事をとること。」ということだそうです。また、1人で食事をすることを「孤食」、一緒に食事をする人がいても1人ひとり別の献立で食べることを「個食」というよう使い分けている場合もあるようです。

 昔は、家族が協力して家事を手伝ったりしなければ、家庭生活が立ちゆかなったかもしれません。また、家庭には1台しかテレビがなく、一緒にテレビを見ることが当たり前だった時代もあるでしょう。違うメニューを食べることや違う時間に食事をすることも、家事の手間などから現実的に不可能だった時代もあると思われます。しかし、現代はそうではありません。ごく自然に暮らしていく中で、ごく当然のように、家族が“一緒に”ではなく“バラバラに”活動することが生じているのです。

 

 話を『千と千尋の神隠し』に戻せば、カオナシは銭婆婆に「お前はここにいな、あたしの手助けをしておくれ。」と言われ銭婆婆ところに残ります。カオナシは銭婆婆のところで、アイデンティティの社会的な側面を少しずつ確かなものにすることができそうです。また、銭婆婆に手ほどきを受けながら、銭婆婆の仕事を手伝うでしょう。そこで「ともに眺める関係」をしっかりと体験して、社会的な関係の基盤を獲得していくのではないかと期待されます。

 

文献

 

山下一夫 1994 カウンセリングの知と心 日本評論社

 

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